天気は下り坂であったが、長崎は幸運にも晴れていた。雨が降ったら「雨のオランダ坂」だけを歩き「長崎はやはり雨だった」と言って帰ればいいと思っていたが、そう調子よくはいかないものだ。むしろ、風頭公園から寺町、眼鏡橋まで、墓ばかりの急な下り階段を降りるときは、下りというのに汗だくになった。
着いて早々、先ずタクシーに乗り込み「風頭公園まで」と頼むと、しばらく走ったあと運転手が「風頭公園に何しに行くのだ」とぶっきらぼうに問いかけてきた。これにはさすがの私もたじろいだ。とっさの、しかも思いもよらない問いに、「・・・何しにって・・・、とにかく最初に高いところから長崎の全貌を把握したいし・・・、坂本竜馬に敬意も表したいので・・・」としどろもどろに答えると、理解をしてくれたのかどうか、ポツリ、ポツリと解説を始めた。
「前方に見える山を亀山という。亀の形をしているからだ。その頂上が風頭公園だ。その少し下に竜馬の像がある。そこに竜馬が貿易会社を設立したので、その会社を『亀山社中』と呼んだ。その会社の跡や、竜馬通りなどもあるので見ていけ。ところで、どう降りても石段ばかりだ。足は健脚か?」と聞いてきた。
これにも驚いた。「見てのとおりの老人夫婦だ。健脚とはいえないが、この程度の山なら下りることはできるだろう」と答えたが、甘く見るなよ、と言わんばかりに次の解説を続けた。
「長崎には“三バカ”という言葉がある。先ず“坂バカ”、次に“墓バカ”、それから“上バカ”・・・これは墓の“上に住むバカ”という意味だ・・・」
へえ・・・そんな坂町か・・・確かに山が入り組んでいるがそれだけ眺めがいいではないか・・・、などと思って聞き流していたが、早速その直後に急坂の脅威にさらされた。打ち続く墓の急斜面を一直線に降りる石段は急で、途中2回の休憩を要し、疲れはふくらはぎを襲いその痛みは三日間残った。
「何しにいくのか?」という運転手の疑問は、この年寄りを公園の頂上に残して立ち去っていいものか? という不安があったのかもしれない。そういえば、緑こそきれいで、墓と新緑の間に見る長崎の町と港に満足したが、風頭公園自体には竜馬の像以外にほとんど見るべきものは無かった。
あの運転手は、未だに私たちが風頭公園で何を見て満足したのか案じており、何よりも無事に坂を下りることが出来たか心配してくれているかもしれない。