トルコ旅行の特徴の一つはバス旅行であろう。8日間で国内の有名どころを回ろうと思えば、毎日数時間のバスの旅を続けることになる。初めて見る乾いた茶色い大地を眺めながら、ガイドの話を聞き続ける。
コンヤからカッパドキアへ向かう長いバス旅(約230キロ)のときであったか、ガイドのフラットさんは全員に紙を配り「トルコについて聞きたいことを書け」という。私はかねて聞きたいと思っていた「イスラム教国トルコの飲酒」について、①なぜ酒に寛容なのか、②観光客の飲酒を国民はどう思っている?③常飲者はどのくらい?④ビール、ワインの生産量、などを問うたが、同じ趣旨の質問者(恐らくK氏であろう)もいて、フラット氏はかなりの時間を割いて説明してくれた。
一言で言うと、「トルコは政教分離を国政の柱にすえている。イスラム教が酒を排していても、それを日常生活や公共の場に持ち込むことはしない。加えて、そもそも『コーラン』は、①アラーを唯一神とする、②一日5回のお祈り、③年収の一定率の寄付、④メッカへのお参り、⑤断食(ラマダン)、の五つの義務付け以外のことは書いてなく、酒を飲むなとは書いてないと。
エフェスビールのダルク(黒)
それを聞いて私は、「トルコは、他のイスラム国と違ってどうして政教分離が出来たのか?」と重ねて聞いた。彼は「実に良い質問だ。よくぞ聞いてくれた」とばかりに滔滔とその歴史をしゃべった。
第一次大戦後、オスマントルコの衰退でトルコは列強に分割され国が消滅する運命にあった。そこで立ち上がったのがムスタファ・ケマル将軍(パシャ)で、彼の指導で独立戦争を勝ち抜き、1923年共和政府を打ち立てる。彼は、これまで宗教的束縛が国の発展を遅らせていたことを重視、共和制とともに政教分離を導入する。以来、決して宗教を否定しないが、公共の場の宗教活動を禁止し、一般社会生活は宗教色から無縁になりつつあるという。
フラットさんは「私は毎晩酒を飲んでる。男性の三割は常飲者だ。女性の40%がスカーフを巻いているが、その半分は宗教と関係ない。一日5回お祈りする人も約23%・・・」などと語った。
どの店でも酒の注文が出来たし、ワインの質はフランス、ドイツに引けを取らない。
建国の父(アタチュルク)ムスタファ・ケマルの像