旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

熊野古道で何を見るか

2010-03-03 16:20:58 | 

 

 いよいよ熊野古道が近づいてきた。どうも天気が心配であるが、そもそも雨の多い地域であるので、それを恐れていては熊野に行く資格はないのであろう。

 そもそも熊野は、死者と神話のくにと言えよう。また生い茂る古木の中を歩くことでもあり、雨が降ろうが降るまいが、そんなに明るい所とは思えない。熊野の語源は「古代の人々が死者の隠れるところを『隠国(こもりく)』とよんだことからくる『隠野(こもりの)』の音がなまったもの」(JTBパブリッシング『熊野古道を歩く』116頁)というからやはり死者のくにだ。
 熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)のシンボルマークは「八咫ガラス」で、このカラスは、神武天皇の東征に際し天照大神の使いとして、天皇を熊野から大和へ案内したとして知られているが、同時に、昔は死者を鳥葬にしていたがその死者をついばむ鳥として尊敬されていたらしい。やはり死者に関係があるのだ。
 このシンボルマークのカラスをあしらった御札が売られており、その裏に誓いの文言を書いて神にささげ、思いを遂げる力にしてきたと言うので、一枚買って試してみよう。この年になって神に誓うこともあまりないが。

 鳥葬と言えば水葬もこの地を想起させる。それは「海の向こうの浄土」を目指して船を乗り出し死んでいった「補陀落渡海」伝説だ。古来、20人以上の僧侶がこれを試み、付き添いを含め100人以上が海に消えたとされている。
 これは当然山の中ではなく和歌山半島南端の海浜の話で、那智大社のそばに補陀落山寺というのがあるので、今回は参拝することになるのであろう。そこから見る太平洋がどのように見えるか楽しみだ。信仰のたりない私には、とても極楽浄土につながる海には見えないのであろうが。
 いずれにせよ熊野古道は、死者と神話から始まる。


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