熊野でも、もちろん毎日酒を飲んだ。和歌山、奈良、三重の三県にまたがる地では、それぞれの地の銘酒が思い浮かぶ。とはいえ、熊野といえども紀伊半島南部の「中辺路」を歩くだけなので、やはり「その地の酒」を求めねばならない。
初日の宿は川湯温泉卿の「川湯みどりや」・・・、熊野川の支流大塔川のほとりの宿。川そのものが温泉という豊かなせせらぎに沿い、夕食の部屋も1階“せせらぎの間”で、川の水位と同じ目線で、周囲の緑に溶け込みながらの夕食。
酒のメニューを見ると、さすがに地元和歌山県新宮市の尾崎酒造さんの酒が並ぶ。その中から「熊野三山」と「那智の滝」を選ぶ。どちらも今回の旅の目的そのもの様な酒だ。「熊野三山」は山田錦を55%まで磨いた吟醸酒、「那智の滝」は掛米に日本晴を使い、精米歩合60%の純米酒。私は「那智の滝」の方が好きだ。純米酒として米の味が豊かであった。
そのほかに私の大好きな「黒牛」(和歌山県海南市の名手酒造。晩酌でよく飲む酒)があったのはうれしかった。和歌山に行くにはどうしても飲もうと思っていた酒だ。
もう一つ「やたがらす」を是非のみたいと思っていたが、「川湯みどりや」にも翌日泊った「勝浦観光ホテル」にも置いてなかった。「やたがらす」は奈良県吉野の酒で、これは吉野から本宮大社を目指す「大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)」をこなした者しか飲む資格が無いのかもしれない。この修験道は、「中辺路」の一部を歩くのとはわけが違い、標高1700m級の山々を越える280キロの道程である(JTBパブリッシング『熊の古道を歩く』122頁)。そのような野望を抱くには年をとり過ぎたことを痛感した。
しかし夜だけでなくお昼の料理も大変に美味しく、地元が造る酒はいずれもその料理に合って満足した。料理の珍しいところでは、初日昼の「目張り寿司」(目を見張る美味しさからその名が付いた)、勝浦観光ホテルの「まぐろのカマ焼き」などいろいろあった。川のせせらぎを聞きながら食べた「みどりや」の小アユの塩焼きは、純米酒「那智の滝」の柔らかい味に良く合った。
いずれにせよ、酒はその地と共にあるのだ。