私は新制大学6期生、昭和33年に大分大学を卒業した。当時所属した「T先生のゼミ」同窓生(在京者)が昨夜集まった。T先生は5年前になくなられたが、その後も「ゼミ同窓会」は続いている。それほど影響力もあり結束力をみせた先生であった。
先生は存命中、年に一度は学会で上京し、その際、必ず在京ゼミナリステンが集まり、先生の講義(?、時局雑感というものであったが中身の水準は高かった)を聴き、互いに親交を深めていた。その先生はなくなったが、従って中身の濃い先生の時局講義はなくなったが、ゼミナリステンの集まりだけは続いているのだ。
先生の存命時は30名近く集まっていたが、さすがに亡くなった方や地方転出者も出てきて名簿に存在するもの全てで30数名、昨夜集まったのは13名であった。昭和29年卒の80歳から41年卒の方まで集まったが、30年代から40年代にかけての急激な日本の変化もあってか、参加者の色合いもかなり違っていることに気が付いた。
T先生が、この間、講師から助教授を経て教授と昇進していったことも影響しているかもしれない。私が入校した29年は新進気鋭の講師、卒業時は助教授であったが、講義もゼミも全く「学究の場」という雰囲気だった。先生自体が日々理論を高めていく過程にあり、学生と共に勉強することに必死、という雰囲気であった。だから35、36年頃までの卒業生には、ゼミは学究の場であった、という思い出が強いようだ。
反面それ以降の連中の話は、どちらかといえば社会に出てからの話が多くなり、講義もゼミも先生との交わりは「社会に出るための準備過程」、「社会でいかに役に立つことを学ぶか」に主眼が置かれていたのではないかというような気がする。
大学の風潮自体が、30年代半ばを境に「学問の場」から「就職準備の場」に変わって行ったのではないか? T先生自体も、38年教授、46年学部長、48年大学長事務代理と昇進していく。当然、就職率や卒業生の出世などの方に気を使うようになったかもしれない。
昨夜の参加者の話でも、先輩たちの話は何か学究的な匂いがしたが、若くなるにつれ自慢話も含めて会社の話が多くなった。特に自慢話が多くなってくれば、「ゼミ」を中心に集まる意味はなくなるだろう。業界別同窓会か気の合う者との飲み会でもやった方が相応しくなるだろうから、同窓会も難しいものだ。