かねて気になっていた「ウフィツィ美術館」展が、来週で終わることに気が付き慌てて出かけた。わたしよりワイフの方が見たいと言っていたのだが。
フィレンツェのこの高名な美術館は、ルネッサンスの華の一つといえよう。今回来日した「自画像コレクション」は、ウフィツィ美術館に連なる“ヴァザーリの回廊”に展示されているものらしい。このヴァザーリの回廊なるものは、アルノ川に架かるこれまた高名な「ヴェッキオ橋」の上に作られた回廊と言う。橋の上に回廊を作り、そこに絵を並べるという発想自体がルネッサンスと言うものだったのかもしれない。
私は未だフィレンツェに行っていない。北のミラノ、ヴェネツィアから南のシチリアやサルデーニャなどには行ったが、イタリア中心部のローマ、フィレンツィエに行ってない。話しに聞くアルノ川やヴェッキオ橋の美しい光景を、いつか見たいと夢見ている。
前置きはさておき、その回廊に並ぶ自画像をたっぷり観た(ほんの一部であろうが)。自画像は、画家が自分を見つめ直そうとしたもので、まさにルネサンス以降の自己の確立の中で生まれてきたものだろう。ウフィツィの自画像が有名になるにつれ、自薦他薦の沢山の自画像が寄せられたらしいが、まさに様々な自画像があるものだと思った。
レンブラントやアングルなどの大巨匠のものは、さすがにドッシリと重く、彼らが自分の何を見たのかつぶさにはわからないが惹きつけられるものがある。中には、勲章をつけたり、オクスフォード大学のマントをそびやかした姿を描いたりしているのもあり、自分を見つめたのか、地位や名誉をひけらかしたのかわからぬ内容のものも多かった。
まあ、様々な自己表現があるのであろうから、それにケチをつける方が不見識かもしれない。変わったのはシャガールで、30年間構想を練り80歳になって完成し、自らウフィツィに寄贈したという。顔を見ると若くて80歳には見えないので30年前の顔かもしれないが、こうなると自画像とは何か、私などにはさっぱりわからなくなる。
自画像が自分を見つめるものであるならば、自画像は常に画家のそばに置いて置くべきもので、公開するような性質のものではないのではないか?などと思ったりした。そういいながら公開されたお陰で結構楽しませてもらったのだが。