小沢一郎の裁判が続いている。土地購入資金4億円の資金の解明と、政治資金収支報告書などに関与したかどうかなどが焦点のようだ。もしそうだとすれば、実につまらない裁判だ。一般国民の正常な感覚からすれば、4億円ともなればすべて熟知しており、その金を軽率に人に任せたりしないはずだ。収支報告書ともなれば、政治家としては当然それに目を通し、安易に人(それがたとえ信頼すべき秘書としても)に任せきいりなどしないはずだ。
ところが、その極めて常識的なことが国を挙げての裁判で争われている。小沢ごとき政治家からすれば、このような事件は真相がわからないように最善(?)の注意を働かせて隠蔽しているはずだ。情けない検察権力や裁判所の力では、その解明は不可能で、おそらく小沢は無罪となるであろう。
ただ、この裁判は非常に貴重なことを明らかにしてくれた。それは、小沢ごとき人物となれば、「4億円程度の金は常に自分の家に置いており、それを秘書なる人物に任せて大したチェックもしない」ということだ。10円安くても隣り駅のスーパーまで買い物に出かける一般庶民の感覚とはおよそずれている。このような人物に政治を任せてはいけないだろう。
また、4億円を使って購入した土地契約書の点検もしない、毎年の政治収支報告書の点検もしない政治家だ。これも一般庶民の感覚から外れておる。自分の政治資金収支報告書に目も通さない政治家に、政治を預けることはできないだろう。「自分の仕事は天下国家を論ずることだ」と言っているようだが、庶民の感覚からこれほどずれている人間に天下国家を論じてもらっては困る。
今回の裁判で最も明らかになったことは、有罪か無罪かということより、小沢一郎という男に政治にかかわる資格はない、ということではないか。