旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

顕著になった「絶対的貧困化」現象④…生きていたマルクス

2012-01-25 14:23:31 | 政治経済

 

 既に4年以上前になるが、2007年11月24日、このブログに「マルクスは遠くなりにけり」という稿を投じた。その年の9月24日にロンドンを訪れ、大英博物館を訪ねたときの感慨を綴ったものだ。
 カール・マルクスは1849年ドイツからロンドンに移り住み、以降30年間大英博物館に通い詰めて、その豊富な資料を駆使しながら『資本論』を書き続けた。彼は雨の日も風の日も、9時の開館と同時に博物館図書室の「G―7」という席に着き、閉館の午後5時まで資料を調べつくし、メモった資料を自宅に持ち帰り深夜まで分析して文章にまとめ上げる毎日であったといわれている。あるとき早朝に訪れた入館者の一人が「G―7」の席へ座ろうとすると、あわてて飛んできた図書館員が、「そこはマルクス博士の席です。博士はもうすぐ参りますのでその席は空けておいてください」と告げたという話は有名である。
 私は初めてロンドンを訪ねるにあたって、ぜひとも大英博物館に行って、マルクスの「G―7」席だけは見たいと計画していたのであった。ところが時を同じくして中国の「兵馬俑展」がその図書室で行われており、見ることができなかった。いくら兵馬俑といえども、その合間に席だけでも見ることはできないかと館員に問うたが、「すべて兵馬俑に覆われダメだ」と一蹴された。実はその後、マルクスの住居跡で現在はレストランとなっている「クオ・ヴァディス」を訪ね、ドイツの友人宅(フランクフルト)に帰ったのち、マルクスの生地トリアーも訪れる計画があったが、この兵馬俑に出ばなをくじかれ、すべての計画を流したのであった。
 そのいきさつを書いたのが前掲「マルクスは遠くなりにけり」であったが、その背景に、ソ連崩壊後「資本主義の永遠の勝利」などが叫ばれ、『資本論』などマルクスの著書も書店から消えていく様相があったことも確かであった。ところがドッコイ! 前世紀末から21世紀にかけて資本主義の根幹を揺るがす事件が相次ぎ、前3回で示したように、先進資本主義国にマルクスが指摘してきた様な深刻な事態が進展しつつある。資本主義の中枢にいる人たちまで、「今の現状の本質を知りたいならマルクスを読め」とまで言い出した。
 マルクスは生きていたのだ。大英博物館は、中国に兵馬俑展を許可してもよかったが、「G―7の席はマルクス博士の席だから、そこだけには兵馬俑を飾らないように」と言うべきだったのではないか。


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