日本列島は猛暑に包まれている。しかし明後日の7日は早くも立秋。それにつれてか、暑さも若干和らぐと報じられている。もっとも、最高気温の35度が33度か32度になるという程度だが…。
子供のころから、夏の一番暑い時期は8月上旬と思っていた。太陽が最も輝き、夏が最後の暑さを誇る時期がこの8月上旬ではないか。そしてその思い出は、ギラギラと照りつける太陽に輝く海とともにある。その海の歌の極めつけは『われは海の子』であろう。
我は海の子白波の さわぐいそべの松原に、
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。
生まれて潮に浴(ゆあみ)して 浪を子守の歌と聞き、
千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり。
高く鼻つくいその香に 不断の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く。
(講談社文庫『日本の唱歌(上)』281頁より)
この歌ほど多く歌った歌があろうか? 海洋国日本の子供は、みんなこの歌を歌って育ったのではないか。
煙たなびくとまや……。とまや(苫家)とは、苫(スゲやカヤを編んだもの)で屋根を葺いた家であろうから、決して立派な家ではなく、むしろ粗末な家を指すのだろうが、それこそ「我がなつかしき住家」と言っているところに実感がある。二番の歌詞も、私が生まれ育った情景そのままだ。
この歌は三番が好きだ。ただ、歌詞は難しい。不断の花とは、文字通り「絶えることなく咲き続ける花」とすれば、不断草(アカザ科の野菜で、一年中その葉が食べられる一年草)とか不断桜(10月ごろから4月ごろまで咲き続ける)などをイメージしているのだろうか? 子供心にはもちろん正確な理解はできなかったが、歌いながらいつも何とも格調の高さを感じ、海に生きる誇りを感じていた。
この歌は七番まであるが、四番以降は何となく海外に対する覇権主義的なにおいがする。作られたのが明治43(1910)年(文部省唱歌)であれば、日露戦争後の意気高き時代でその影響があるのかもしれない。私にとっては三番までで十分である。
作詞・作曲者とも諸説はあるが不明とされている。