既報の通り11月26~28日、中身の濃い九州の旅をしてきた。何度も書いたように「錦秋の阿蘇・久住を回り 臼杵に行ってふぐを食べよう」という旅であったが、この旅で多くの歴史に触れた。
まず最初に訪ねた臼杵石仏。これは今から約千年前、平安末期から鎌倉時代にかけて彫られた磨崖仏で平成6年国宝に指定された。ただ資料が乏しく彫った人物すら定かでない。
真名野長者伝説から運慶説まであるがそれは別項に譲るとして、いつ見ても心を鎮めてくれる仏像だ。一行の中には「手を合わせていたら、極楽に行けるお許しをいただいた」と喜んでいた人もいた。
ついで臼杵の街を散策する。まず上った臼杵城(別名丹生島城)はキリシタン大名大友宗麟が1562年に築城、宗麟没(1587年)後、福原直高、太田一吉を経て1600年、美濃国郡上八幡より稲葉貞通(5万石)が入封して明治まで続く。その城下町の名残をとどめる臼杵の街を散策した。
歴史といえば二日目に訪れた阿蘇山噴火の歴史は30万年に及ぶ。阿蘇山とは、30万年前から9万年前に4回発生した巨大噴火でできたカルデラと、その中に後の爆発でできた五岳を含めた総称である。
カルデラの周囲は広大な外輪山(旧噴火口)に囲まれ、その広さは東西18キロm、南北25キロmに達する。(北海道屈斜路カルデラに次いで2位) 9万年前の噴火による噴出物は600キロ平米(ほぼ富士山全部の大きさ)といわれている。(以上Wikipediaより)
その日も噴煙を上げていた中岳