

☆大坂城には秀吉の遺児、豊臣秀頼が健在であった
☆年頭公家たちが、大坂城に赴いて秀頼に参賀の挨拶を行なう
☆後陽成天皇は、第二皇子(後水尾天皇)に譲位して仙洞御所へ退いた

☆江戸幕府は「公家衆法度」を制定、「禁中並び公家諸法度」を公布した
☆幕府は京都所司代を置いて朝廷や公家衆の行動を管理し、統制を行なった
☆朝廷は、幕府の決定なくしては何事も忙行できないシステムが構築された

☆後水尾天皇は、天皇の第二皇女興子に譲位を宣言
(興子の母は、二代将軍徳川秀忠の娘、後水尾天皇と徳川家の娘の間にできた子)
☆女帝明正天皇が誕生し、実権は後水尾天皇が握ったまま
☆4年後水尾天皇は、徳川家光に院政を認めさせている


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します






朝廷を冷遇した家康(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)






