慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

側室なく、皇位継承を男系男子で継続する難しさ

2019年06月05日 | 皇室
NHK番組『日本人と天皇』

 ☆日本の伝統と宗教(天皇と祭祀)と憲法との関係
 ☆皇位継承で、男系男子で皇室を継いでいくことの難しさ
 ☆問題の投げかけとしては、非常に分かり易い番組でした

皇室と宗教の問題
 ☆皇室の伝統と重なりあった宗教的儀式を、現行憲法が許容するのか
 *神官としての天皇陛下にスポットを当てたので理解しやすかった
 *国民の安寧を祈られる陛下の実像を伝えている
 ☆戦後憲法制定時の憲法の政教分離原則
 *内閣が、どこで線を引かざるを得なかったのかが明らかになった
 *内閣としては、皇室行事を「お支えする」ところで線を引くしかなかった
 (その実情を、当時の元内閣官房副長官石原氏が肉声で伝える)
 ☆賢所に、天照大御神の「御神体」としての「八咫鏡」が奉置されている
 *賢所で、天皇陛下が国家国民の安寧を祈られる
 *歴史的には、陛下の最重要のお務めであり続けてきている
 ☆日本国憲法の下では、それを国事行為として明定出来なかった矛盾
 ☆秋篠宮殿下(現・皇嗣殿下)の大嘗祭に関する御発言
 *石原氏が苦労しながらひかれた一線もまた危うくなりかねません
 *番組では、三笠宮崇仁殿下の御発言や御主張のご紹介された
皇位の安定的な継承の問題
 ☆内閣の危機意識、特に古川元官房副長官の危機感
 *皇室の自然消滅の危機という強い言葉を敢えて使っておられた
 ☆皇位継承問題で、番組が取り上げていた側室問題
 *近世以降の天皇のうち正室を母に持たれた方が、稀であることを明らかにした
 *直近400年の天皇で、正室を母に持つ天皇は3名
 (明生天皇、昭和天皇、天皇陛下)
 *歴代天皇の半分は、側室から生まれている
 ☆男系主義の裏表で、番組の一つの眼目の長子継承
 *故三笠宮崇仁殿下のラジオ番組、華族の廃止で「外堀」が埋められたとのご発言
 *含蓄のある表現をなされた
皇位の安定的継承を確保するには
 ☆旧宮家の復活が残された極めて限られた解決策であることは論を俟たない
 ☆皇位継承問題は、実情を明確にして、国民的合意を求めていくことが必要な問題である
園部元最高裁判事と平沼赳夫元議員を対置
 ☆皇位継承問題で、長子継承と、男系男子継承の議論を紹介
 ☆インタビュー構成や画像の切り取り方にはバランスを欠く面を感じた
 *男系男子継承での集会中、万歳三唱の部分を使用されていたりし、番組編集の意図を感じた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『言論プラットホーム「アゴラ」』NHK番組『日本人と天皇』


















側室なしに、皇位継承が男系男子で継続する難しさ
(NHK番組『日本人と天皇』番組画面より画像引用)


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「念仏」の教え、空也・源信・法然・親鸞・一遍

2019年06月05日 | 宗教
「念仏」の教え

 ☆奈良仏教は、国家を鎮護し安定させるためのもの
 ☆平安仏教は、皇室と貴族を救うためのもの
 ☆一般民衆にとり、仏法は遠い存在だった
 *読み書きができない者に経典の意味などわからない
 *ブツダが説いた悟りの意味、複雑で難解な密教の教義など理解できなかった
 ☆仏教はパトロンである上流階級のためのもの
 *社会的な弱者たちに目を向けたものではなかった
 ☆比叡山・高野山・南都も、時の権力者たちと深く結びついていた
 ☆仏教は、腐敗し堕落していき、当初の高邁な精神が失われていった
 *高僧たちのなかには、酒を飲んで騒ぎ、秘密に女を囲う者までいたという

法然登場!すべてをなげうち”民衆のなかへ”
 ☆鎌倉時代、僧侶たちのあり方に失望し、疑問をを呈した法然
 *都の壁の外で貧困や病にあえぐ者たちに届くみほとけの言葉はないのか
 *女人は成仏してはいけないのか
 *殺生をなりわいとする猟師や漁師は、救われることはないのか
 *文字を知らない者でも実践できる教えは存在しないのか
 ☆法然はすべてをなげうって比叡山を下り、民衆のなかに入っていった
「アミダさまにすがればいい」とのシンプルな教え
 ☆「南無阿弥陀仏」とひたすらに称えなさい
 *阿弥陀如来のお力によって必ず極楽に往生できる
 ☆おシャカさまではなく、アミダという仏にすがりなさいとの教え
 ☆シンプルな教は、法然が示して見せた「鎌倉仏教」のスタイル
 ☆法然のもとは無数の老若男女が殺到した
 ☆「念仏」という教え
 *最澄の弟子の円仁が唐から持ち帰って伝えたもの
 *市聖と呼ばれた空也上人(法然の200年前)
 (諸国を巡り歩いて貧民たちのために念仏を称えつづけた)
 (京都の六波羅蜜寺には、「空也上人像」がある)
 *源信が、念仏往生の教えを説き、末法思想の流行とともに念仏は広まっていった
 ☆マイナーだった浄土系の仏教
 *法然の登場で時代の主役に躍り出た
神出鬼没に洛中を移動した法然の”誕生時の奇瑞”とは
 ☆鎌倉時代に、法然のような新しい仏教の教えが出てくると
 *旧仏教の比叡山は、法然を捕らえるために武装集団を放った
 ☆法然はこれを未然に察知しているかのように、神出鬼没に洛中を移動
 *追ってをかわして都の外に逃げおおせた
 *これは、法然のネツトワークが動いたからだといわれている
 ☆法然の母親は、「泰氏」の一族の娘だった
 *陰ながらずつと秦氏がその成長を見守っていた
 *渡来人の秦氏は、日本での地歩を固めていた
 *京都の太秦が本拠地とされ、その地の広隆寺は秦氏の氏寺がある
 *各地の八幡神社を作って宗教的ネットワークを形成していた
 ☆秦氏や往生信仰のネットワークこそが、法然の身を守った
「観音のお告げ」で妻帯に踏み切った親鸞
 ☆法然の教えをさらに純粋化し、哲学的なまでに深化させた親鸞
 *法然の開いた浄土宗は、シンプルながらも懐の深い寛容さを持っていた
 *親鸞の浄土真宗は、阿弥陀仏への信仰のみに特化する原理主義への道を歩んだ
 ☆親鸞は、京の街中にある六角堂で100日間の参籠を行なっていた
 *夢に本尊の観音菩薩が現われて告げた
 *親鸞よ、お前が欲望に負けて女と関係を持つくらいなら
 *私が女に変身して犯されてやろう
 *そうすれば、お前の生涯は素晴らしいものとなる
 *死んだときには極楽に連れて行ってやる
 ☆観音さまが「煩悩の解消」と「極楽往生」を約束してくれた
 *親鸞は、比叡山から足を洗って、法然のもとに弟子入りした
 ☆既成宗派8宗からの「専修念仏停止」の訴え
 *朝廷は、法然を四国に流罪とし、弟子の親鸞は越後に流された
 ☆親鸞は観音さまの約束をありがたく受けて結婚し、子をつくった
 *親鸞は”僧でもなく俗人でもない”「非僧非俗」とした
 *民衆のための念仏信仰をより先鋭化させる道を歩む
「花のことは花に問え」(カリスマ時宗の開祖一遍)
 ☆念仏信仰は、鎌倉時代中期に、もうひとりの聖者を登場させる
 *民衆から「遊行上人」等と呼ばれて、生き仏のように尊敬され慕われた一遍
 *まさに宗教的カリスマとして、多くの熱狂的な信徒を生んだ
 ☆一遍は、決まった寺を持たず、全国を遊行して「踊念仏」を広めた
 *一遍は、差別せず、信徒は一遍のあとをぞろぞろとついて歩き始めた
 *一遍が「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と書かれた札を配る
 *民衆は歓喜して涙した
 *行く先々では、天から花が降るなどの奇跡まで起こる
 ☆その不思議の起こったわけを問う
 *「花のことは花に問え」と答えるのみ
 ☆まさに生き仏、「阿弥陀如来そのもの」となって歩いた念仏聖
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の仏さま』








「念仏」の教え、空也・源信・法然・親鸞・一遍
(『日本の仏さま』記事より画像引用)



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吉方・恵方とは(方位の神)

2019年06月05日 | 宗教
物から仏まで、森羅万象の神様(方位の神)3

 ☆吉報、あるいは恵方という言葉がある
 *関西地方の風習
 ☆恵方とは、その年の縁起の良い方角で、歳徳神が宿るとされた
 ☆凶の方角に宿り、恐れられる神
 *金神(こんじん)はその代表で、一所に留まらず移動する神
 *平安時代には、金神のいる方角を占ってから外出していた
 ☆凶方へ移動する必要がある場合には、恵方へ向かってそこに留まる
 *方角を変えてから、目的地へ向かう方違えが行われた
 ☆鬼が入る北東(丑寅)の方角(鬼門)の金神はとくに恐れられた
 ☆方角とそこに宿る神の感覚は、陰陽道の考えに基づくもの
 ☆平安京は鬼門の方角に比叡山延暦寺がある
 *都市作りにも影響をあたえた
 ☆現在でも家を建てる際の「家相」などに残る

歳徳神を祀る葛木御歳(かつらぎみとし)神社
 ☆御歳神を主祭神とする葛木御歳神社(奈良)
 ☆父神である大年神(須佐之男命の子)も合祀する
 ☆御歳神。大年神は「正月に迎える年神さま」として古くより親しまれている
京の鬼門を守護する神々
 ☆陰陽道より、1年を通じて北東の方角は鬼が出入りする鬼門で忌み嫌う
 ☆鬼門に神仏を祀ることで、災難を除けられると考えた
 ☆日吉大社の猿が守護する京都御所の鬼門
 ☆京の鬼門封じを担う幸神社(さいのかみやしろ)
 ☆京都御所の北東に位置し、平安京遷都以来、京の町の鬼門封じを担う
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出典、『日本の神様図鑑』








吉方・恵方とは(方位の神)
(『日本の神様図鑑』記事より画像引用)



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