慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日蓮は他宗を攻撃(真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊)

2019年06月07日 | 宗教
『法華経』を重視した日蓮の「志」とは

 ☆鎌倉仏教の特徴は、 一般民衆にもわかりやすい方法論を提示している
 *浄土系の宗派は、ただひたすらに念仏を称えよ
 *禅宗はひたすら坐禅せよ、修行せよという
 *以前の旧仏教のような難解で複雑な教学など必要ない
 ☆鎌倉仏教の最後の超大物、日蓮
 *非常にわかりやすい方法論で登場してきた
 *日蓮が最も重視した経典『法華経』
 *日蓮系の宗派は、すべて「南無妙法蓮華経」の題目を唱える

日蓮は、何故これほどまでに”熱い”のか
 ☆鎌倉仏教の祖師たちはすべて比叡山で修行してから独立していった
 *日蓮も比叡山の修行から出発している
 ☆比叡山の天台宗の最上としている経典は『法華経』
 *日蓮は、天台宗の教えを受け継いだ
 ☆日蓮は、過激なまで他の宗派の批判を行なった
 *真言密教は国を亡ぼす教えである
 *禅宗は天魔のなせる業である
 *その念仏を称える者は無間(むけん)地獄に堕ちる
 *律宗は人を惑わす国賊である
 *すなわち「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」の四箇(しか)格言
 ☆日蓮は、あとから登場してきたので、まず既存の教団を批判する必要があった
 *日蓮宗は、百花繚乱の鎌倉仏教のなかで埋没してしまう危険性もあった
 *日蓮は、同じ経典の天台宗だけは批判していない
処刑の瞬間、白い光が(龍ノロでの”驚愕の奇跡”)
 ☆日蓮は幕府へ『立正安国論』を提出した
 *当時の疫病、飢饉等は、念仏や禅などの”邪教”が原因であるとした
 *幕府は、宗教政策をすみやかに法華のみに変更すべしとも主張する
 *1力月後に、日蓮の草庵は襲撃され、焼き討ちにされた
 ☆日蓮は、伊豆へ流罪となり、2年後に許されて故郷へ戻る途中
 *念仏信仰者に襲撃され、左腕と額を負傷
 *日蓮はひるまずに自己の主張をくり返した
 ☆幕府は、日蓮を捕獲し、龍ノロ刑場で斬首されることになった
 *首を斬るとき、発光体が飛んできて処刑人の目を眩ませた
 *持っていた刀は、3つに折られていて使い物にならなかった
 *処刑は中止となったが、日蓮は、佐渡島に流刑となった
 ☆日蓮はみずからの主張を曲げなかった
 ☆日蓮が生きた鎌倉中期
 *飢饉や天災などが相次ぎ、幕府と朝廷の権力争いがつづくばかりの混乱の時代
 *為政者はいたずらに祈祷に頼るばかりで治世の努力を放棄
 *人々は現世での救いをあきらめて、もはや来世に望みを託す状況だった
 *時代は「末法の世」の様相を呈していた
 ☆日蓮は、高らかに宣言する
 *「われ日本の柱に、われ日本の眼目に、われ日本の大船に」と
「弾圧にあうこと」こそが正義の証
 ☆浄土系の宗派は、来世の浄土に生まれ変わることを目指した
 ☆日蓮の仏教は、法華の力でこの今の世の中を変革しなければならない
 ☆革命思想に満ちたものであった
 ☆日蓮宗は、時の権力者からは嫌われ、他宗派からは村八分状態
 ☆何度も厳しい弾圧にあつた
 ☆「弾圧にあうこと」こそが正義の証ととらえるようになっていった
 ☆教団は巨大化していつた
 *法華信者たちは洛中の本山を武装化して、京都の自治権を確立
 *比叡山と日蓮信徒が衝突して、京都一帯が火の海となる事件もあった
 *不屈の人・日蓮が生んだ教団は、不屈の教団となっていった
 ☆新宗教の日蓮系教団がおびたただしく存在する
 *創価学会、霊友会、立正佼成会などもべて日蓮系
『法華経』の何が信徒たちを熱狂させたのか
 ☆日蓮は、『法華経』に記された予言に着目した
 *お釈迦さまが減したのちに、恐怖の悪世がやってくる
 *法華経の教えを広めなければならない
 *無知な人は、教えに対して、ひどい悪口を言うだろう
 *刀や杖で襲ってもくるだろうが、耐えなければならな
 ☆『法華経』の教えを広めようとする者は必ず迫害される
 ☆『法華経』自体が予言し、それは”試練”だという
 ☆これこそが、「熱狂的な使命感の秘密」だった
 ☆『法華経』の教えを最高だとホメまくるのが『法華経』
コラム(鎌倉に「お地蔵さん」が多い理由)
 ☆鎌倉最大の寺である建長寺は、本尊が地蔵菩薩
 *禅寺の本尊は、釈迦如来となるはずだが何故か?
 *鎌倉にはなぜか地蔵菩薩が多く祀られている
 ☆「鎌倉二十四ヶ所地蔵めぐり」などという札所まで存在する
 ☆鎌倉由比ヶ浜で、多数の人骨が発見された
 *鎌倉時代の戦乱で埋葬されたと推定される
 ☆鎌倉という山に囲まれた狭い土地で、大規模な市街戦が行なわれた
 *鎌倉に特有の「やぐら」(横穴式の納骨窟)がある
 *戦死者や武将の首塚だったと伝わるものも多い
 ☆おびただしい死体が散乱する光景は、地獄そのものであったに違いない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の仏さま』




日蓮宗他宗を攻撃(真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊)
(『日本の仏さま』より画像引用)




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枝野幸男・立憲支持優先の続一候補に反発が

2019年06月07日 | 政治家
立憲支持3%でも独善哀れ

 ☆なんでも反対&国民民主の議員引き抜き奔走など
 *枝野幸雄、国民が見放したことを知れ
 ☆枝野氏の野党統一候補↓政権構想は他党から総スカンで進んでいない
 *衆参同日選となれば、立憲も国民民主も惨敗するのは明らかだ
 ☆立憲民主、コップの中の争いを繰り返した上、なんでも反対するだけ
 ☆政権を担える政党にならず、国民が果れていることに気がつかないから哀れ

カネも候補者も尽き”窮地”に
 ☆立憲民主党の枝野幸男代表は憲法記念日、護憲派集会に参加し、参加者の前でこう叫んだ。
 *集会には枝野氏のほか日本共産党委員長、国民民主党代表、社民党党首らも出席した
 *それぞれが憲法9条の改憲阻止と安倍政権打倒を訴えた
 ☆野党の存在感はもはやゼロに等しい
 ☆各党は安倍政権と対峙するため連携する必要がある
 ☆「野党第一党の代表だが、自党優先で何でも反対の枝野氏ではまとまらない」と批判が
 ☆枝野氏は統一地方選で「徹底的に国民民主を潰す!」と号令をかけ立憲の候補者を立てた
 *道府県議選、政令市議選でも議席を増やした
 *カネも候補者も尽きたのだ
 *年4回に分けて支給される政党交付金も、4月金額はわずか8億円
 ☆枝野氏の独善で、立憲はダブル選になれば単独で戦うことはできない
 ☆こうした苦しい状況のなかで枝野氏が選んだのが、野党共闘への積極的な対応だった
セクハラ議員が比例で復活し
 ☆立憲民主党は一時は政党支持率約17%あった
 *読売新聞の19年4月の調査では、立憲の政党支持率は3%
 *共産党と同じ数字で、公明党4%にも負ける
 ☆立憲がここまで凋落したのは、何より枝野氏のリーダーシップの欠如
 *枝野氏はアイドルグループのAKBが好き
 *カラオケでも「振り付きで歌い続ける」ことで知られる
 *よくいえば庶民的だが、自民党の石破茂氏と一緒で、オタク気質が目立つ
 ☆「立憲の問題児」と指弾されているのが福山哲郎幹事長
 *福山氏は立憲結党時に参議院から唯一参加し党ナンバー2に就任した
 *福山氏は以前、朝日新聞女性記者との醜聞も噂された
小沢一郎が自分の出番を待つ
 ☆立憲より多くの難題を抱えているのは国民民主
 *「次の参院選では党消滅寸前まで議席を減らす」といわれている
 ☆党内では「小沢一郎氏と組んだからだ」との批判が強まっている
 ☆党内の苛立ちは玉木代表に向けられている
 *自分は汗をかかず、テレビ出演や党のイメージづくりにしか関心を示さない
 ☆最近の玉木氏、自らメディアに「だからマスゴミなんて呼ばれる」と自嘲気味
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS6月号』


枝野幸男・立憲支持優先の続一候補に反発が
(『THEMIS6月号』記事より画像引用)


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嘉吉(かきつ)の乱(6代足利将軍の暗殺)

2019年06月07日 | 歴史上の人物
応仁の乱と嘉吉の乱での6代将軍義教の暗殺

 ☆「応仁の乱」は、京都を騒乱にまき込んだ
 ☆原因の一つの要素は、嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱
 *将軍の暗殺事件が、史上最大規模の土一揆に発展し、混迷の時代となる
 ☆当時、金融業の台頭が格差社会を生む
 ☆決められない政治が混乱に拍車をかけていた
 ☆優柔不断の管領・細川持之の選択が、大混迷の時代に突き進んでいく
 ☆私の印象
 *複雑な応仁の乱も、原点から考えると理解しやすい
 *管領・細川持之の立場から見るとよく応仁の乱も理解しやすい

嘉吉の乱(かきつ)
 ☆室町時代の嘉吉元年に播磨・備前・美作の守護赤松満祐
 *室町幕府6代将軍足利義教を暗殺
 ☆領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱
 ☆乱の経過
 *宴に相伴した大名は管領細川持之、畠山持永他新義教派、他に公家らも随行
 *甲冑を着た武者たちが宴の座敷に乱入
 *赤松氏随一の剛の者安積行秀が義教の首をはねてしまった
 *居並ぶ守護大名達の多くは、狼狽して逃げ惑った
 *山名熙貴は抵抗するがその場で斬り殺された
赤松氏の隆盛
 ☆赤松氏は、後醍醐天皇の檄に応じて挙兵、鎌倉幕府打倒に大きく尽力
 *功績により守護に任じられた
 ☆恩賞への不満から、初代将軍足利尊氏に与して室町幕府創業の功臣となる
 *播磨の他に備前、美作を領し、幕府の四職の1つとなった家柄
 ☆満祐が家督を相続した時、元将軍足利義持は播磨を取り上げようとした
 *寵臣である赤松持貞に与えようとした
 *満祐が京の屋敷を焼いて領国に引き上げる事件が起こった
 *義持は激怒して満祐を討とうとするが、幕府の重臣達はこれに反対
 ☆義持の死後に、弟の義教が6代将軍になる
6代将軍義教「籤引き将軍」
 ☆義教は、有力守護大名による衆議によって政治を行っていた
 ☆長老格の死後から次第に指導力を発揮するようになった
 ☆義教は将軍の権力強化を狙う
 *斯波氏、畠山氏、山名氏、京極氏、富樫氏の家督相続に強引に介入
 *意中の者を家督に据えさせた
 *比叡山延暦寺とも対立し屈服させた
 ☆義教の政治を「万人恐怖」と書き記した書籍もある
将軍暗殺後の管領細川持之らの対応
 ☆管領細川持之を始め諸大名達は、邸へ逃げ帰ると門を閉じて引きこもる
 ☆満祐ら赤松一族はすぐに幕府軍の追手が来ると予想してた
 ☆幕府軍が押し寄せる様子はなかったため、領国に帰って抵抗することに決めた
 ☆邸に火を放つと、将軍の首を槍先に掲げ、隊列を組んで堂々と京を退去した
 ☆将軍を失った幕府
 *管領の細川持之の指導力が欠如が、幕府が機能停止に陥ってしまった
 *強力な指導力を持つ将軍の為、管領以下の幕臣が指導力を発揮する機会が無かった
 ☆将軍が殺された時に管領なのに戦いもせず、逃げ出そうとした持之の臆病ぶり
 *嘲笑され、持之が満祐と結託しているという噂まで流れた
赤松氏討伐
 ☆細川持常、赤松貞村、赤松満政の大手軍が摂津、山名持豊の侵攻する討伐軍が決定した
 ☆事実上の総大将であった侍所頭人山名持豊はなかなか京を動かなかった
 *持豊は数か月後に、京を発し但馬へ向かった
 ☆山名持豊は、但馬・播磨国境の真弓峠に攻め込み真弓峠を突破、坂本城に向かって進軍
 ☆覚悟を決めた赤松満祐は、教康や弟の則繁を城から脱出させ切腹した
守護大名の復権
 ☆山名持豊は、満祐を討ち果たしたことによって播磨守護職を与えられた
 ☆持豊は軍功として播磨一国支配を要求し、三郡も山名持豊の支配下となった
 ☆足利義満時代の明徳の乱で敗れて低下した山名氏の勢力
 *大きく拡大し、細川氏と力を競うようになる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHKBS『英雄たちの選択』、『WIKIPEDIA』














嘉吉(かきつ)の乱(6代足利将軍の暗殺)


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6月6日練習

2019年06月07日 | 英語練習
今日のセン テンス3
基礎英語3、エンジョイシンプルイングリッシュ、ニュースで英語術、おもてなし英語

Have a look at this.
Have a taste this.
Chill out .Charm down.


復習
I'm missing.

5分間英語
日本の旅
英語ニュース


浄土宗(令和元年6月の言葉より引用)
『ひとつ ひとつ いのち輝く』
Your life, my life, and all lives are radiantly important.

東京神社庁((令和元年6月の言葉より引用)
『さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ 
 我がねがひなる』(昭和天皇)

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