慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

政府・外務省アフガン救出失敗の惨状

2021年10月03日 | 政治
🌸政府・外務省アフガン救出失敗の惨状

 ☆独自の情報機関も持たず救出も米軍頼み
 ☆日本政府の対策は後手
 *協力者も救えず、アフガン人を置きざりにした

⛳米軍通告に外務省凍りついた
 ☆現地の日本大使館に米軍から「カプール陥落」の連絡が入った
 ☆その後の、日本政府のドタバタぶりが浮かびあがってくる
 *それは日本という国の危なっかしさだっだ
 ☆外務省は3日後の8月18日を期限とし
 *民間機での日本大使館や国際協力機構
 *現地人スタッフ家族約500人を退避させる計画を立てていた
 ☆その後、米軍から連絡が入り、部屋の空気が凍りついた
 *日本大使館の職員が軍用機に乗りたいなら
 *今日午後10時半までにカブール空港に集合するように
 *それ以降は安全を確保できないと通告された
 ☆外務省の最出作戦はこの時点で振り出しに戻る
 *アフガン人の大使館職員やJICA職員の退避は難題だった
 ☆日本政府米国と治安情勢が悪化したとき
 *乗せてもらう「覚書」を交わしていたが、対象は日本人職員のみ
 *カプール陥落時、高橋次席公使以下12人、彼ら直ぐに空港に行かう
 *空港まではわずか2Kmだったが進めない
 *「もう脱出は無理かもしれない」との雰囲気が漂った
 *大使館員は、米軍がヘリで護衛する「エアカバー」に守ら空港に着いた

外相は外遊し大使も不在とは
 ☆日本に協力してきた500人を超えるアフガン人は残されたまま
 ☆日本政府内では、この時点から自衛隊機派遣の検討が始まった
 ☆事務レベルで「行ける」となったのは1週間後
 *カブール市内の空き地に大使館が用意したバス27台に
 *日本人2人とアフガン人約500人が出発しようとしたとき
 *カブール空港付近で大規模な爆発が起こり
 *500人の退避は失敗に終わった
 ☆日本人と日本人に協力したアフガン人救出に失敗した要因
 *現地職員のアフガン人に対する思いやりや配慮が欠けている
 *日本は独自の対外情報機関を持たない
 (インテリジェンスの貧困さからくる判断の難しさ)
 *自衛隊などにみられ危機感の欠如
 ☆インテリジエンスの欠如は、指揮をとる人の不在とも関係してる
 *カブールが陥落し日、アフガニスタン大使、トルコに滞在中で留守
 *茂木敏充外相も中東歴訪に出発して不在


⛳日本人12人の外交官は8月17日脱出
 ☆岡田大使、茂木外相が肝心なときに不在なのをメディアは怒った
 ☆日本政府は、日本の外務省職員が在留邦人や現地職員
 *置き去りにして逃げる輩がいるとは思えないとコメントする
 ☆しかし、メディアが批判するようだ すでにに退避していた
 *アフガン人協力者が置き去りにされた
 *12人の退避についても「口外無用」との噂が流れた
 ☆日本政府は、日本に協力してくれたアフガン人約500人
 *今後タリバンと交渉して空路で退避させたいとしている
 ☆米情報機関関係者はのべる
 *日本の外交官が早く逃げたのは、情報があったからだろうと
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS10月号』








政府・外務省アフガン救出失敗の惨状
『THEMIS10月号』記事より画像引用)
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「承久の乱」をめぐる新説2

2021年10月03日 | 歴史
🌸「承久の乱」をめぐる新説2

「北条義時を討て」は「鎌倉幕府を漬せ」と同義である
 ☆「幕府」の言葉を使わずに、鎌倉幕府を倒せと命令を出す場合
 *「北条義時を倒せ」の表現しかない
 ☆初期の鎌倉幕府の実態を的確に表現すれば
 *「源頼朝とその仲間たち」が一番正確な表現です
 ☆頼朝という強力な王が亡くなつた後
 *有力な御家人たちが争い、戦いの末に生き残ったのが北条氏
 *北条氏の当主である義時こそが、当時の幕府のボスだった
 ☆「戦いが王を作る」という言葉の通り、戦って、戦って、戦って、
 *勝った末に王になるのが、中世の理だった
 *源頼朝の死後、勝ち残った北条義時は、鎌倉幕府の王様です
 ☆鎌倉幕府は、北条氏が勝利した後、「北条義時とその仲間たち」となる
 ☆「北条義時を討て」の命令、「鎌倉幕府を潰せ」と同じ認識

鎌倉幕府には本当に19万人もの兵がいたのか
 ☆「吾妻鏡」に、京都へ進軍した時の軍勢数は19万人と記載している
 *幕府軍の軍勢が19万人もいるはずがない
 *史料がウソをついたであろう事例は、他にも散見する
 ☆当時の幕府の力では、兵士の数は数千人がせいぜい
 *19万人もの大軍を作ることはできなかった
 *歴史書である『吾妻鏡』は、平気で数字を盛っている

中国の歴史書の数字は「実際から十倍は盛る」のが当たり前
 ☆中国の歴史書「数字は十倍にして記録するのが当たり前」
 ☆中国の歴史を、勉強していた日本の貴族たち
 *日本の史料の数字、十倍に水増しして記載している可能性ある
 ☆先に書かれた『吾妻鏡』の軍勢の19万人
 *本当の数は1万5千人くらいじやないか
 ☆史料はただ「読む」のではなく、「読み込む」ことが重要
 ☆書いてあることを信じ込んでしまうと、誤読してしまう
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』




「承久の乱」をめぐる新説2(ネットより画像引用)
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天国から地獄ヘー変した世界遺産の地3

2021年10月03日 | 歴史
🌸天国から地獄ヘー変した地3

 ☆アユタヤの遺跡(タイ)
 ☆ラパ・ヌイ国立公園(チリ)
 ☆ぺルセポリス(イラン)

⛳アユタヤの遺跡
 ☆タイの首都バンコクから車で2時間ほどの場所
 *経済的な豊かさは、文化の豊かさに直結
 *集められた富は、寺院や要塞、市門、美術品、工芸品などを生み出す
 *アユタヤは、まさに光り輝く都だったのだ
 ☆アユタヤは、日本とも浅からぬ関係にある
 *戦国時代、主君を失った浪人や迫害されたキリシタン
 *アユタヤに流れ着き、日本人町を形成していた
 *頭領の山田長政の名はよく知られている
 *日本の元戦国武士たちは、傭兵として優秀だった
 ☆アユタヤでは戦闘が絶えなかった
 *海賊とビルマ軍の侵略に何度となく脅かされていた
 ☆1796年、ビルマ軍がアユタヤ中心部まで侵攻してきた
 *ビルマ軍は、町中を容赦なく破壊し、仏像も頭を叩き落とされた
 ☆ビルマ軍が、執拗な破壊行為におよんだ理由不明
 *ビル仏教徒である彼らが仏像を破壊したのか闇のなか

ラパ・ヌイ国立公園(チリ)
 ☆南米チリの西側の洋上に浮かぶイースター島
 ☆モアイ像、何のために立てられたのか不明
 *モアイが立っていた場所は集落だった
 *その台座は祭壇、地下は墓になっており、かっての首長が眠つている
 *モアイは村の先祖の像であり、村の人たちを見守っていたのだ
 *モアイの限孔には、サンゴでできた眼球がはめこまれていた
 ☆信仰のおかげか、島は順調に発展、人口も増加しはじめた
 *人口ばかりが増えると、ひとりあたりの食糧が乏しくなる
 *少ない食糧を取り合って、部族間の争いがはじまった
 *殺りくがくり広げられ、島の人口は激減した
 ☆17世紀ごろになると、白人たちによる奴隷狩りがはじまる
 *奴隷狩りの船がひんばんに上陸し、島民を次々と連れ去っていった
 *住民を全滅寸前にまで追いこんだ

ぺルセポリス(イラン)
 ☆ペルシャ帝国には、このベルセポリス他4つの都があった
 ☆ペルセポリスは、ゾロアスター教の新年の儀式を行った都だった
 ☆アレキサンダー大王率いるマケドニア軍がペルセポリスに入城
 *ペルシャ帝国は滅亡を迎える
 *兵士たちの一昼夜にわたって続けられた略奪
 *略奪は周辺の住民居住区にまでおよび一般市民を殺りくした
 ☆大王の宴席で、酒に酔ったタイスという名の遊女が叫んだ
 *アレキサンダー様、あのペルシャ人の王宮に火を放ち
 * 一瞬にして焼き尽くしてしまうなら
 *アテネを焼き払われた仇が討てる
 *大王の名は、きっと末代まで語り継がれるでしょう

 ☆大王を先頭とした一行は、宮殿まで行進すると松明を投げこむ
 *跡形もなく燃やしてしまった
 ☆ペルセポリスは、酔った遊女のひと言で破壊された
                        (敬称略)
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⛳出典、『世界遺産に隠された話ゾッとする話』




天国から地獄ヘー変した世界遺産の地3
(『世界遺産に隠された話ゾッとする話』記事より画像引用)
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地政学を知る基礎知識1「ランド・シーパワー」

2021年10月03日 | 政治
🌸「ランドパワー」は、大陸から勢力拡大を図る

⛳海を求めて南下したロシア
 ☆地政学は、国家をランドパワーとシーパワーに分けて分析する
 ☆ランドパワーとは、大陸の内陸部に位置している国
 ☆ロシアは、北極海に面してはいるが、冬でも凍らない不凍港がない
 *ロシアは、大型船舶を航行させることができない
 ☆ドイツ、中国、中央アジア諸国などが、ランドパワーの国々
 ☆ロシアは18世紀から19世紀にかけ
 *オスマン帝国に何度も戦争を仕掛けた
 *不凍港を求め、地中海沿岸の地域を手に入れる行動だった
 ☆ロシアは領土拡大と不凍港獲得で、南下政策を継続した

⛳ランドパワー国々は、ステップを利用して西進した
 ☆ユーラシア大陸の民族(4世紀のフン族や13世紀のモンゴル帝国)
 *アジアのランドパワー勢力がヨーロッパを脅かす
 ☆ユーラシア大陸の内陸部には、ステップ(草原)が広がっている
 ☆草原がアジアのランドパワー勢力の西進を容易にさせた


🌸「シーパワー」で海外進出により覇権を握る

⛳世界の覇権を握り続ける
 ☆シーパワーとは、国境の多くが海に面している海洋国家
 *アメリカ、イギリス、日本などがシーパワーの国々
 ☆シーパワーの国々は、海を通じて世界各地にアクセス出来る
 *交易等で有利な立場にある

⛳両立は極めて困難
 ☆地政学では、「シー・ランドパワーの状態」の実現は困難である
 ☆ランドパワーには
 *陸で国境を接し、隣国に対抗できる陸軍力を備えるのが必要
 ☆シーパワーには、
 *一定の海軍力を備え、また海運産業が発展していることが重要
 ☆両立を図るためには、莫大なコストが発生するから
 ☆中国の挑戦が成功するかどうかは、地政学的に極めて興味深い

貿易で栄えたシーパワー琉球王国
 ☆シーパワーの国国土は小さくても、海を通じて
 ☆各国と商業ネットワークを築き、発展を遂げる
                        (敬称略)
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⛳出典、『新地政学』





地政学を知る基礎知識1「ランド・シーパワー」
『新地政学』記事より画像引用)
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