🌸春日局(斎藤福) (「春日局」とは朝廷から賜った称号)
☆父は美濃国の名族斎藤氏の一族で明智光秀の重臣
*母は稲葉良通の娘である安
☆春日局は、3代将軍・徳川家光の乳母として 大奥で力を持った
☆春日局は、明智光秀が起こした「本能寺の変」で日陰の身となった
☆春日局が、2代将軍の子・家光の乳母に抜擢された
☆春日局は、家光を将軍にするため 家康への直訴行動した
☆春日局、男色家の家光の世継ぎのため奔走し大奥を作る
☆春日局は、朝廷との交渉の前面にたち、女性政治家でもあった
⛳福が、幼少期から稲葉正成の妻となるまで
☆斎藤氏は、美濃守護代を代々務めた武家の名門
*福の実家の斎藤家も一門である
☆守護代斎藤氏が滅び、一門の斎藤家は明智氏に仕官した
*父・斎藤利三は家臣として、光秀から領地を与えられていた
*福は城主の姫として、幼少期をすごした
☆父は光秀に従い、本能寺の変で織田信長を討つ
*羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し処刑された
*他の兄弟は落ち武者となって各地を流浪していた
☆福は母方の実家である稲葉家に引取られた
*成人するまで美濃の清水城で過ごした
*福は、母方の親戚三条西公国に養育され、公家の素養を身につけた
☆福は、小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる
*正成は関ヶ原の戦いで、徳川家康を勝利に導いた功労者
⛳福が、家光の乳母へ
☆2代将軍・徳川秀忠の嫡子・家光の乳母に正式に任命される
*福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった
☆家光の乳母の選考
*福の家柄及び公家の教養と、夫・正成の戦功が評価された
*息子の稲葉正勝も、家光の小姓に取り立てられた老中に就任
*相模国小田原藩主となった
⛳福は、将軍様御局へ
☆家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」となる
*大御台所・お江与の方の下で大奥の公務を取り仕切る
☆お江与の没後からは、家光の側室探しに尽力
*さまざまな、女性たちを次々と奥入りさせた
☆大奥の役職や法度などを整理・拡充するなど、大奥を整備した
☆福は、将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る
⛳「春日局」が下賜される
☆家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、御所への昇殿を図る
☆武家斎藤家の娘の身分では、御所に昇殿するための資格を欠く
☆福は、公卿三条西家の娘となり参内する資格を得た
☆福は、後水尾天皇や中宮和子に拝謁
*従三位の位階と「春日局」の名号及び天酌御盃をも賜る
*その後、従二位を賜る(平時子や北条政子に比肩する位階)
⛳福の死去
☆享年64歳で死去
☆辞世の句は
*「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
☆死去の直前に当たる日、家光は稲葉正則の娘と婚約
(敬称略)
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⛳出典、『WIKIPEDIA』『BS-TBSにっぽん歴史鑑定!』
戦国の女たち 春日局の生涯
(『BS-TBSにっぽん歴史鑑定!』テレビ画面他より画像引用)