🌸「応仁の乱」の本質1(幕府・畠山の跡取り問題)
☆八代将軍・足利義政が招いた「跡取り問題」
☆八代将軍・足利義政が招いた「跡取り問題」
*「原因は足利将軍家の跡継ぎ問題だった」が定説
☆しかし「応仁の乱」のきっかけには諸説ある
☆しかし「応仁の乱」のきっかけには諸説ある
⛳くじ引きで選ばれた六代将軍の足利義教が暗殺された
☆義教の息子である足利義勝が七代将軍に就任した
*義勝はまだ幼いうちに亡くなる
☆八代将軍として義勝の弟足利義政が選ばれた
*義政は、長いこと子どもができなかった
*義政は、長いこと子どもができなかった
*義政は自分の弟に将軍の位を譲ると言う
*僧侶の弟は、還俗し、足利義視と名乗る
☆翌年、足利義政の妻である日野富子が息子を産んでしまう
☆翌年、足利義政の妻である日野富子が息子を産んでしまう
*日野富子は、自分が産んだ子を将軍にしたい
☆九代将軍に誰を据えるべきかという問題が勃発した
⛳畠山持国の「跡継ぎ問題」が発端になった
☆くじ引き将軍・義教の人百長の実行者の疑いがある畠山満家
*満家の息子の畠山持国は、畠山家の全盛時代を築いた優秀な人物
☆満家の次を決める際に、息子畠山義就と、甥畠山政長
⛳畠山持国の「跡継ぎ問題」が発端になった
☆くじ引き将軍・義教の人百長の実行者の疑いがある畠山満家
*満家の息子の畠山持国は、畠山家の全盛時代を築いた優秀な人物
☆満家の次を決める際に、息子畠山義就と、甥畠山政長
*両者間で面倒な跡継ぎ問題が起きてしまった
☆畠山持国は跡目について考える
☆畠山持国は跡目について考える
*私には息子ができなかったな
*甥の政長を後継者と決めた
*しかし、自分が寺へ送った成長した息子顔は自分に瓜二つ
*「これは、自分の子に違いない」と持国は、確信した
*甥ではなくて、息子に跡を継がせたい思った持国
*「これは、自分の子に違いない」と持国は、確信した
*甥ではなくて、息子に跡を継がせたい思った持国
*義就と名乗らせ、家へ連れて帰る
☆跡目争いで、畠山家は真っ二つに割れてしまう
*騒動の最中に、問題の原因を作った持国は死んでしまう
*どちらが家督を継ぐべきかを議論した
*どちらが家督を継ぐべきかを議論した
*幕府側が支持したのは甥の政長側でした
*義就は、謀反人と認定され、討伐の対象になる
*義就は、謀反人と認定され、討伐の対象になる
☆義就は、自分の名誉を守るため懸命に戦う
*義就は戦上手、目を付け山名一族の長山名宗前
*山名家は、義就を支持することをきめた
⛳畠山政長は、細川勝元へ「自分を支持をと」と詰め寄った
☆勝元は、「畠山政長を支持します」と賛同した
☆幕府内に、畠山義就を推すグループ、畠山政長を推すグループが誕生
☆畠山家と足利将軍家の跡継ぎ問題の結果
☆畠山家と足利将軍家の跡継ぎ問題の結果
*室町幕府は、真っ二つに割れた
*細川勝元が率いる東軍、山名宗全率いる西軍
☆京都で11年間の長きに渡って戦いが行われた
☆気が付いたら京都は焼け野原になっていた
(敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』
「応仁の乱」の本質1(幕府・畠山の跡取り問題)
(ネットより画像引用)
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