慶喜

心意気
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宮崎県『八紘一宇の塔』

2023年09月02日 | 政治
🌸米英を撃ちてし止まむ 2

 ☆八紘一宇と大東亜戦争

宮崎県の事業で建てられた「八紘一宇の塔』
 ☆1937年相川勝六が宮崎県知事に就任した
 *戦前、県知事は公選制ではなく内務官僚が代わる代わる務めていた
 *相川も朝鮮総督府の外事課長を経て、人事異動で宮崎県に赴任してきた
 ☆相川は、奉祝事業に宮崎県も積極的に関与すべきだと考えた
 *県の事業で宮崎市の皇宮屋に記念塔を建てる計画を発表した
 *建てる場所は、神武天皇の宮跡とされる地
 ☆記念塔は八紘之基柱と名付けられた
 *高松宮宣仁親王臨席のもとで竣工式が執り行われた

秩父宮が染筆した「八紘一宇」
 ☆八紘之基柱は、神武天皇の軍勢が用いた楯をイメージしている
 *柱の正面には銅製の扉があり、神武天皇が船出する様子を示している
 *その上部には、三種の神器をデザイン
 ☆内部の空間には、八枚の石膏レリーフが配置されている
 *日本を中心とする東半球の図(大東亜の図)
 *南米大陸を中心とする西半球の図(南米大陸の図)
 *残りの六枚は、神話から歴史を描いたもので、時系列で並べる
 ☆かってこの空間の正面、秩父官雅仁親王が染筆した
 *八紘一宇の書が掲示されていた
 ☆製作者昭和初期にヨーロッパに留学したとき
 *ドイツの「諸国民の戦い記念碑」に影響を受けた

⛳世界中から集まった切石
 ☆戦後この塔の処置に困った様子が浮かび上がってくる
 *切石のひとつひとつに団体名が記されている
 *日本国内のものがいちばん多いが、植民地や勢力圏からのもある
 *陸軍部隊からのもの、在外日本人団体からのものも含まれている
 *相川知事のアイデアで「皇威」の及ぶ範囲より広く石材が集められた
 *最終的に集められた切石は、なんと1789個
 *切石の出どころはかなりの部分が特定されており
 *中国人の墓石を切り出したものまであるという
 ☆世界中から広く集められた石材でできた記念塔
 *まさに八紘一宇を体現するものだった
 ☆八紘之基柱がやがて平和の塔と呼ばれ
 *東京オリンピックで聖火リレーの起点となった
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『「戦前」の正体』




宮崎県の『八紘一宇の塔』
『「戦前」の正体』記事ネットより画像引用)

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