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「後三条天皇」「荘園整理令」「上皇の権力」「待賢門院埠子」

2024年02月01日 | 歴史
🌸『源氏物語」の時代は恋愛至上主義(5)

「要旨」
 ☆後三条天皇が藤原氏を弱体化した切り札「荘園整理令」
 *藤原氏にとり、摂関政治において荘園は生命線
 *藤原氏は、荘園を数多く集める経済的な影響力を誇っていた
 ☆後三条天皇は、天皇親政、皇室の力が強くなる政策を実施した
 ☆後三条天皇の息子白河上皇、「院政」政治を推進した
 ☆荘園で私腹を肥やし、派手になった上皇の女性関係
 *天皇は公地公民を体現する存在
 *白河天皇が土地を持つのは問題がある
 *自分は天皇の位を譲り、上皇となって荘園を集めた
 ☆鳥羽天皇と待賢門院に息子(崇徳天皇)が生まれた際の噂
 *白河上皇と待賢門院は男女の関係にあり
 *生まれた子どもは上皇の子ではないかとの噂
 *崇徳天皇は。上皇の息子である可能性は高い






「後三条天皇」「荘園整理令」「上皇の権力」「待賢門院埠子」
(ネットより画像引用)

後三条天皇が藤原氏を弱体化した切り札「荘園整理令」
 ☆天皇の外戚の立場を利用し、権力を誇ってきた藤原氏
 *両親とも皇族の天皇が即位し、権力はどんどん削ぎ落とされて行く
 ☆「荘園整理令」
 *荘園とは、当時の貴族たちの私有地
 *律令上の法の網をかいくぐり、貴族たちが私有地を獲得していた
 *土地から発生する税が、彼らの経済的な基盤となる
 ☆藤原氏にとり、摂関政治において荘園は生命線
 *藤原氏は、荘園を数多く集める経済的な影響力を誇っていた
 ☆荘園はすべて潰し、天皇の公地へと組み入れることにした
 *藤原氏が保有荘園整理で、収入の三分の一が減ってしまった
 ☆後三条天皇は、天皇親政、皇室の力が強くなる政策を実施した
 *藤原氏によって独占されていた朝廷
 *後三条天皇の政治は「延久の善政」と呼ばれた
 ☆後三条天皇の息子白河上皇、「院政」政治を推進した
 *摂関政治という母方の親族が力を持つ政治から、院政へ変化した

荘園で私腹を肥やし、派手になった上皇の女性関係
 ☆後三条天皇の息子の白河天皇
 *「自分に寄進するなら、荘園保有も問題ない」と言い出す
 *再び貴族たちは荘園を集め始める
 *天皇は公地公民を体現する存在、白河天皇が土地を持つのは問題がある
 *自分は天皇の位を譲り、上皇となって荘園を集める
 ☆上皇に荘園が集積するのは体面が悪い
 *白河上皇は、荘園の寄進先として法勝寺というお寺を建立
 *この寺に自分の荘園を管理させ、荘園を寄付する貴族が続出した
 *上皇はどんどん私腹をこやし、権力を強化する
 ☆白河上皇も金が集まり、数々の女性たちを寵愛する
 ☆平安時代の天皇の妻は、藤原氏で一番身分の高いお姫様でした
 *藤原氏の娘であるならば、どんな不美人でも、相性が悪くとも
 *天皇には拒否する権利はありませんでした
 ☆上皇は、上皇自身が権力を持っているので、女性を選びたい放題
 *上皇周辺の恋愛は派手になっていった

鳥羽上皇にトラウマを植え付けた女・待賢門院
 ☆上皇で、人一倍派手な恋愛関係を持った代表格鳥羽上皇
 ☆鳥羽天皇が天皇のとき、実権を握っていたのが祖父白河上皇
 *白河上皇は、自分がかわいがっていた女性の孫
 *待賢門院埠子(たまこ)を皇后に推薦した
 ☆待賢門院埠子(たまこ)
 *藤原公実という権大納言の家に生まれた
 *彼女は、白河上皇に愛された祗園女御という女性の養女になり
 *上皇に大変かわいがられていた
 *待賢門院は非常に美しい人だったため、鳥羽天皇は婚儀を喜んだ
 ☆鳥羽天皇と待賢門院に息子(崇徳天皇)が生まれた際の噂
 *白河上皇と待賢門院は男女の関係にあり
 *生まれた子どもは上皇の子ではないかという内容
 ☆歴史研究家が、崇徳天皇の誕生日等より詳細に調査した
 *崇徳天皇は上皇の息子であるという結論に到達している

 ☆白河上皇の態度がおかしいと感じたのか
 *鳥羽天皇本人も「この子は自分の子ではない」と不信感を抱く
 *鳥羽上皇は崇徳天皇のことを「叔父子」と呼び、いじめ抜いた
 ☆鳥羽天皇は待賢門院を相当気に入っていた
 *彼女との間に六人の子どもを作っている                                        
                         (敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』

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1 コメント

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Unknown (osa-michi2016)
2024-02-01 08:32:07
アドバイス、ありがとうございます。
考えてみます。感謝です
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