慶喜

心意気
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明治時代2(会津・函館戦争)

2022年06月25日 | 歴史
🌸会津戦争

 ☆女性や少年兵も参加した戊辰戦争最大の悲劇

明治時代の会津戦争
 ☆佐幕派最大の雄藩、会津に江戸を脱出した旧幕府軍が集結
 *新政府も会津攻めのために着々と東北に兵を集めた
 *会津に対して、四方から攻め込む準備を整えていた
 ☆奥羽の玄関口、白河口は激戦地となったが新政府軍が制圧に成功
 *新政府軍は次々と諸藩を降伏させ、会津領へ侵入した
 ☆松平容保も若松城へ入り、1カ月の籠城戦が繰りひろげられた
 *奥羽越列藩同盟の盟主である米沢・仙台両藩が降伏
 *会津藩も降伏した

対新政府軍を想定した会津藩の軍制改革
 ☆会津藩ではフランス式の改革が行われた
 ☆新政府軍との戦いに備えた改革の中心
 *朱雀隊(正規軍の主力となる兵力)
 *青龍隊(国境警備にあたる兵力)
 *玄武隊(予備兵力)
 *白虎隊(少年の兵力)

約1カ月に及んだ籠城戦
 ☆新政府軍は、強行策から包囲戦へと方針を転換
 *若松城と外部との連絡を絶ちながら徐々に包囲を完成させる
 ☆小田山から1日2千発もの砲弾を城内に打ち込まれながらも
 *会津軍は持ちこたえるが
 *会津藩は、援軍の見込みがなくなり降伏した

勝軍の将・松平容保
 ☆徳川宗家に最後まで忠節を尽くした
 ☆会津藩9代藩主で。京都守護職を務めた
 *慶喜や孝明天皇から信頼され、尊王攘夷派とは対立した
 ☆大政奉還後には慶喜にならって恭順姿勢を見せた受け入れられず
 *新政府軍と戦う方針を固めた
 ☆会津に戻ると徹底抗戦の準備をして会津戦争を迎える
 *1カ月にわたる激戦の末に降伏した

🌸函館戦争

 ☆北の大地に夢を託した旧幕府軍最後の戦い


明治時代の函館戦争
 ☆榎本武揚率いる旧幕府勢力は蝦夷地で五稜郭を占領
 *松前城を攻略し蝦夷共和国という独立政権を樹立した
 *新政府軍はこれを認めす、蝦夷(函館)へと進軍する
 ☆新政府軍、函館湾でも旧幕府軍の艦隊を壊滅させ
 *五稜郭の旧幕府年に向け、函館総攻撃を仕掛けた
 ☆軍艦からの砲撃で、榎本は降伏を決意
 *五稜郭を開城し、1年半にわたる戊辰戦争に終止符が打たれた

新政府軍が蝦夷共和国を圧倒
 ☆新政府軍は攻撃を決定艦隊を出撃させて
 *宮古湾で旧幕府軍を破って青森に拠点を築く
 ☆新政府軍、函館に軍を進め、総攻撃を開始した
 *艦隊からの砲撃支援を受けつつ一気に函館市内を征圧
 *耐えきれなくなった五稜郭は降伏する

命が尽きる瞬間まで戦い抜いた上方歳三
 ☆鳥羽・伏見の戦いで敗れ、江戸に戻った土方歳三
 *断髪して洋装になった
 ☆五稜郭や松前城を落とすなど活躍した土方
 ☆新政府を防ぐため出陣した土方
 *長時間に渡る戦いで敵を押し返すも
 *他の戦線が破られたため函館まで退却した
 ☆新選組を救う為出陣するも銃弾に倒れた

敗軍の将・榎本武揚
 ☆戦後も生き残り新政府で活躍
 ☆長崎海軍伝習所にて勝海舟に学んだのち
 *オランダに留学し航海術や国際法などを学んだ
 ☆帰国後は幕府の海軍副総裁に任じられる
 ☆江戸城無血開城の条件、軍艦接収に反発
 ☆軍艦8隻を率いて脱走
 *会津から脱出した旧幕府軍とともに蝦夷地へ向かった
 ☆函館戦争で敗北したがのちに許され
 *明治新政府に出仕して能力を生かした
                        (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本の合戦』








明治時代(会津・函館戦争)
『日本の合戦』記事より画像引用)

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