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鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇なのか?(3)

2021年10月30日 | 歴史
🌸鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇なのか?

 ☆後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒した張本人ではなかった
 ☆建武政権はすぐれた政権ではなかった

建武政権は、伝続を打破したすばらしい政相だったという考え方
 ☆戦前の認識が引き継がれ、今でも、後醍醐天皇の人気は高い
 *「足利尊氏が悪者、建武の新政はすばらしい」との考えは間違えである
 ☆「建武政権はすごく立派な仕事をした」学説を唱える専門家の見解
 *「後醍醐天皇は、譜代、伝統を否定しようとした」という点です

 *従来の朝廷は、とにかく伝統が一番大切にされた
 *多くの官職は「世襲制」が当たり前
 *後醍醐天皇は、この世襲制を否定しようとしたのだと説く
 ☆建武新政の新政府が滅びた結果
 *貴族の社会では「世襲が当たり前」の状態に戻る
 ☆建武新政の高評価に関し、筆者は異議を唱える

3年しか続かなかった「建武の新政」
 ☆後醍醐天皇が、仮に革新的な理念を打ち出したとしても
 *浮世離れをした中途半端なもので、機能していなかった
 *人々の心を打たず、長続きしなかった
 ☆後醍醐天皇が、全ての業務を自分でやろうとするのは
 *物理的に不可能で、すべてを決定することなどできない
 *所詮、考え方自体が浮世離れしていた
 ☆後醍醐天皇の思い、立派で、評価するべき点あるかもしてないが
 *実行力が伴わないなら意味がない
 ☆結果として、建武新政が中途半端に終わってしまった

⛳後醍醐天皇は、武士や庶民の登用をよしとしなかった
 ☆後醍醐天皇は、建武新政で譜代の否定し、伝統を否定を試みた
 *しかし、後醍醐天皇は、朝廷の外からも人材を登用していない
 *貴族以外の人々が政権に参加することはなかった
 *後醍醐天皇は、武士や庶民の登用をよしとしなかった
 (建武新政に関わった数少ない武士、楠木正成と名和長年ぐらい)
 *後醍醐天皇が、好きな武士しか、建武政府には迎え入れていない
 ☆足利尊氏のように大手柄を立てた武士をはじめ
 *時代の流れの要を握っていた武士を登用していない
 ☆「伝統をぶつ壊せ」と唱えても、絵に描いた餅に過ぎない
 ☆後醍醐天皇の政治である建武新政、3年で政権は崩壊した
 ☆足利尊氏が後醍醐天皇に離反して室町幕府を作り上げた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』




 鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇なのか?(3)
(ネットより画像引用)

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