🌸鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇なのか?
☆後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒した張本人ではなかった
☆建武政権はすぐれた政権ではなかった
⛳建武政権は、伝続を打破したすばらしい政相だったという考え方
☆戦前の認識が引き継がれ、今でも、後醍醐天皇の人気は高い
*「足利尊氏が悪者、建武の新政はすばらしい」との考えは間違えである
☆「建武政権はすごく立派な仕事をした」学説を唱える専門家の見解
*「後醍醐天皇は、譜代、伝統を否定しようとした」という点です
*従来の朝廷は、とにかく伝統が一番大切にされた
*「後醍醐天皇は、譜代、伝統を否定しようとした」という点です
*従来の朝廷は、とにかく伝統が一番大切にされた
*多くの官職は「世襲制」が当たり前
*後醍醐天皇は、この世襲制を否定しようとしたのだと説く
☆建武新政の新政府が滅びた結果
*貴族の社会では「世襲が当たり前」の状態に戻る
☆建武新政の高評価に関し、筆者は異議を唱える
⛳3年しか続かなかった「建武の新政」
☆後醍醐天皇が、仮に革新的な理念を打ち出したとしても
⛳3年しか続かなかった「建武の新政」
☆後醍醐天皇が、仮に革新的な理念を打ち出したとしても
*浮世離れをした中途半端なもので、機能していなかった
*人々の心を打たず、長続きしなかった
☆後醍醐天皇が、全ての業務を自分でやろうとするのは
*物理的に不可能で、すべてを決定することなどできない
*所詮、考え方自体が浮世離れしていた
☆後醍醐天皇の思い、立派で、評価するべき点あるかもしてないが
*実行力が伴わないなら意味がない
☆後醍醐天皇の思い、立派で、評価するべき点あるかもしてないが
*実行力が伴わないなら意味がない
☆結果として、建武新政が中途半端に終わってしまった
⛳後醍醐天皇は、武士や庶民の登用をよしとしなかった
☆後醍醐天皇は、建武新政で譜代の否定し、伝統を否定を試みた
⛳後醍醐天皇は、武士や庶民の登用をよしとしなかった
☆後醍醐天皇は、建武新政で譜代の否定し、伝統を否定を試みた
*しかし、後醍醐天皇は、朝廷の外からも人材を登用していない
*貴族以外の人々が政権に参加することはなかった
*後醍醐天皇は、武士や庶民の登用をよしとしなかった
(建武新政に関わった数少ない武士、楠木正成と名和長年ぐらい)
(建武新政に関わった数少ない武士、楠木正成と名和長年ぐらい)
*後醍醐天皇が、好きな武士しか、建武政府には迎え入れていない
☆足利尊氏のように大手柄を立てた武士をはじめ
*時代の流れの要を握っていた武士を登用していない
☆「伝統をぶつ壊せ」と唱えても、絵に描いた餅に過ぎない
☆後醍醐天皇の政治である建武新政、3年で政権は崩壊した
☆足利尊氏が後醍醐天皇に離反して室町幕府を作り上げた
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』
鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇なのか?(3)
(ネットより画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます