先日、元プロ野球選手で、まさかり投法でおなじみの村田兆治の
インタビュー記事を偶然目にした。
その珠玉の言葉に、私たちは何か学ぶべきことがあるように感じた
ので、抜粋して記してみた。
村田兆治さんは、なぜ、140キロの球を投げることにこだわるのか?
「『俺は、昔はこうだった』と言ったところで、聞いた人は『あんた、
今やってみせろ』って思うでしょう。 やってみせることで、それが
事実だとわかる。だから、やれないのは、評論家なんだ。 そんな人の
言うことを、本気で聞くわけがない」
「『こうしてごらん』と教えるとき、話しだけ聞かせてお茶を濁すのも
一つの方法だけど、 実際に、見せなきゃ子供だって納得しない。
私は『昔は凄かった』じゃなくて『今が凄い』って言われたいんです」
昔の自慢話で、自分を大きく見せようとはしない。自分の現役時代を
知らない子供達に、凄い野球を伝えるためには、 「自分が、今凄く
なくてはいけない」から、「今を磨き続ける」のだそうである。
まさに秀逸である。
どんな偉い人の話しでも、実際に心に火をつけるのは、
「今が凄い人」「今に磨きをかけている人」の話しなのである。
歳を取って、過去の逸話にすがるような人生だけは、なんとも送りたくない
ものである。
(しかし、逸話の無い人生もありかな…)
インタビュー記事を偶然目にした。
その珠玉の言葉に、私たちは何か学ぶべきことがあるように感じた
ので、抜粋して記してみた。
村田兆治さんは、なぜ、140キロの球を投げることにこだわるのか?
「『俺は、昔はこうだった』と言ったところで、聞いた人は『あんた、
今やってみせろ』って思うでしょう。 やってみせることで、それが
事実だとわかる。だから、やれないのは、評論家なんだ。 そんな人の
言うことを、本気で聞くわけがない」
「『こうしてごらん』と教えるとき、話しだけ聞かせてお茶を濁すのも
一つの方法だけど、 実際に、見せなきゃ子供だって納得しない。
私は『昔は凄かった』じゃなくて『今が凄い』って言われたいんです」
昔の自慢話で、自分を大きく見せようとはしない。自分の現役時代を
知らない子供達に、凄い野球を伝えるためには、 「自分が、今凄く
なくてはいけない」から、「今を磨き続ける」のだそうである。
まさに秀逸である。
どんな偉い人の話しでも、実際に心に火をつけるのは、
「今が凄い人」「今に磨きをかけている人」の話しなのである。
歳を取って、過去の逸話にすがるような人生だけは、なんとも送りたくない
ものである。
(しかし、逸話の無い人生もありかな…)