カット・カット滝の探鳥を終え
カット・カットの滝は人気の観光地らしくて多くの観光客が集まってきました。この滝を見ることが一番の目的なのでしょうが、この写真を撮ったカメラ位置の後ろには、ベトナムの民族舞踊を見せる小さな小屋もありました。私たちが訪れたときは時間的に早かったのか、踊り子たちが舞台の上で音あわせをしていました。
探鳥を終えて帰るまでには営業を始めましたが、結構多くの観光客が入っていました。自分の目で見ていないのでどの程度の踊りなのか分かりませんが、滝を見物したついでに短時間のショウが鑑賞が出来ると言うことで人気があるのかもわかりません。
上の写真の左側に向けて帰り始めました。大きな道を起点にすれば、時計回りに回ってもとの位置に帰るようです。来た道を登ることを考えるとゾッとするのですが、傾斜のゆるいのぼり道を、それも初めての道を歩くことで気分的にはずいぶん救われたような気がしました。
この頃には天気はすっかり回復し、青空が広がってきました。直射日光は当りますが、このあたりでも標高は1000mを超えていますから、蒸し暑さもなくて快適でした。ちなみにサパの町が1600mくらいで、今回の探鳥旅行で行った最高地点はトラムトン峠で、標高は1900mくらいあります。
ベトナムにしてもマレーシアにしても南の国で、私たち日本人には暑い国と言う印象がありますが、標高1000mを超えると快適です。1900mまで上がると南国と言うイメージはありません。後日紹介しますが、早朝探鳥のときなどは長袖のシャツの上に山用の雨具を着用するくらい冷えます。サパの町でも冬には雪も降るようです。
このような棚田のそばの道を歩きながら高度を上げてきました。別の場所では一家総出で(?)収穫しているところもありました。10月初めが刈りいれ時期なのでしょうか?
カット・カットの滝のところに流れ込む川に架かるつり橋を渡ってしばらく行くと車の通る広い道に出ました。
つり橋の下の河原では水牛を洗っている子供たちがおり、その風景を西洋人カメラマンが撮影していました。アジア的な写真が撮れるのかも分かりません。
車道に出てしばらく上ると車が待っていました。救われたような気がしましたが、それを見ると「私は17歳だ、もっと歩こう」などと心にもない冗談を言ったものです。そのすぐ前までは「私は70歳だ、、、」と弱音をはいていたのですが、迎えの車を見たとたん元気になったものです。
前にも話したように、セブンティーンとセブンティを使い分けるジョークは、この旅が終わるまで続きました。
カット・カットの滝は人気の観光地らしくて多くの観光客が集まってきました。この滝を見ることが一番の目的なのでしょうが、この写真を撮ったカメラ位置の後ろには、ベトナムの民族舞踊を見せる小さな小屋もありました。私たちが訪れたときは時間的に早かったのか、踊り子たちが舞台の上で音あわせをしていました。
探鳥を終えて帰るまでには営業を始めましたが、結構多くの観光客が入っていました。自分の目で見ていないのでどの程度の踊りなのか分かりませんが、滝を見物したついでに短時間のショウが鑑賞が出来ると言うことで人気があるのかもわかりません。
上の写真の左側に向けて帰り始めました。大きな道を起点にすれば、時計回りに回ってもとの位置に帰るようです。来た道を登ることを考えるとゾッとするのですが、傾斜のゆるいのぼり道を、それも初めての道を歩くことで気分的にはずいぶん救われたような気がしました。
この頃には天気はすっかり回復し、青空が広がってきました。直射日光は当りますが、このあたりでも標高は1000mを超えていますから、蒸し暑さもなくて快適でした。ちなみにサパの町が1600mくらいで、今回の探鳥旅行で行った最高地点はトラムトン峠で、標高は1900mくらいあります。
ベトナムにしてもマレーシアにしても南の国で、私たち日本人には暑い国と言う印象がありますが、標高1000mを超えると快適です。1900mまで上がると南国と言うイメージはありません。後日紹介しますが、早朝探鳥のときなどは長袖のシャツの上に山用の雨具を着用するくらい冷えます。サパの町でも冬には雪も降るようです。
このような棚田のそばの道を歩きながら高度を上げてきました。別の場所では一家総出で(?)収穫しているところもありました。10月初めが刈りいれ時期なのでしょうか?
カット・カットの滝のところに流れ込む川に架かるつり橋を渡ってしばらく行くと車の通る広い道に出ました。
つり橋の下の河原では水牛を洗っている子供たちがおり、その風景を西洋人カメラマンが撮影していました。アジア的な写真が撮れるのかも分かりません。
車道に出てしばらく上ると車が待っていました。救われたような気がしましたが、それを見ると「私は17歳だ、もっと歩こう」などと心にもない冗談を言ったものです。そのすぐ前までは「私は70歳だ、、、」と弱音をはいていたのですが、迎えの車を見たとたん元気になったものです。
前にも話したように、セブンティーンとセブンティを使い分けるジョークは、この旅が終わるまで続きました。