タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

失われた風景

2017年12月11日 | 山歩きから
山の好きなものは山のことばかり考えているのでしょうか?

昨日の記事を書いたら、、、、、青春のころの山を思い出しました。

そのころの、広島の山好きは広島県北の山、芸北山群といわれているところが心の故郷でした。

タカ長も何度も通ったものです。

そのころ気になっていた風景のことを、あの記事を書いたあと思い出したわけです。

    

その風景というのは聖山の西にある広い谷の風景です。

もう半世紀も前のことなので、その風景をどこから見ていたのか、詳しいことは思い出せないのですが、、、、

おそらく聖山の山頂から見下ろしていたのではないかと思います。

いまの聖山には木が茂り、いくらひいき目にいっても「展望の峰」とは言い難いのですが、、、、

そのころの聖山は、秋にはススキがゆれる草山でした。

その峰から西を見ると眼下に広い谷が広がっていました。

    

2万5千分の1の地図で見ると谷の様子を想像することが出来ます。

919メートルの峰の南の沢沿いにテントを張るとか、、、、小屋掛けして、森の生活をすると面白そう、、、

そのようなことを夢想しながらその風景を見ていましたが、、、、、

そこに至る道もないようで、、、また、そこに小屋掛けするような技能も体力もなくて、、、

夢想は夢想のまま終わりました。

いまになってそのようなことを思い出し、、、、その風景に再会しようとしても、、、、

聖山が茂ってしまっては、あの谷を見下ろすポイントはないはずです。

あの谷に惹かれたのは、ソローの「森の生活」のような、ワイルドな生活にあこがれていたのかも分かりません。

    

芸北山群には峩々たる岩山はなくて、のびやかな風景の山が多いのです。

一部には深い谷もありますが、それでも中央のほうの大きな山、たとえばアルプスのの谷から見れば小さなもので、、、、

このあたりの風景はのびやかな風景といっていいようです。

     

そのような風景の中に広いメルヘンの谷があるのかどうか、、、、

あの谷に一度も入ったことのないタカ長には分かりませんが、心のどこかには青春のころ夢想した広くて明るい谷の風景が残っているのです。