タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

旧河内峠を歩く

2019年02月04日 | 山歩きから
    

天気は回復しました。

この天気に誘われて、たまには「バードウオッチング」するつもりで荒谷林道に出かけました。

いつも歩く荒谷林道の下部まで車で行き、適当なところに駐車してから谷すじの道を歩く、という予定です。

    

荒谷林道のそばを流れる荒谷川は99年6月の豪雨で大きな被害が発生しました。

私たちには大変なことでしたが、荒れてしまった荒谷川は野鳥たちには格好の環境を提供することになったようです。

この林道を歩きながら赤い鳥を見るなど、何度もバードウオッチングを楽しませてもらいました。

しかし、今日はまったくダメでした。冬鳥で見たのはジョウビタキのメスを1羽、くらいです。

そこでバードウオッチングは早々にあきらめた感じで、旧河内峠まで足を延ばすことにしました。

      

足ごしらえはしていませんでしたが、峠道は荒れていなかったので楽に歩くことができました。

距離的にも近くて問題ありません。

      

急登もありません。

ぶらり、ぶらり歩いて峠に到着、と言う感じです。

この峠道は、私たちの縄張り(?)の北外れ、と言う感じです。日常的に歩く道ではありません。

その昔はこのあたりのメイン通りだったようですが、今は通る人もほとんどいない静かな道です。

    

この峠道は1797年に広島藩の絵師、岡岷山が今の豊平町都志見の駒が滝を見に行ったときに利用した道として知れれています。

その時のことをつずった「都志見往来日記」は郷土史愛好家なら誰もが知っている本です。

タカ長も郷土史の講座に参加して、専門の先生とこのあたりを歩いたこともあります。

その都志見往来日記の一部がこの説明版にも紹介されていました。

この峠より西北の方へ斜めに下りて谷に入る。左山高く、右に流れを見て行くほどに、樹木茂り、滔滔として冷ややかなり。道の辺り、クハトウ欄(山セリ)雪もよう美しく花咲けり、、、、

    

峠から窓ヶ山の稜線が見えました。

しかし、この稜線は「左山高く」と書かれた山ではないようです。

    
                                 ネットから借用した画像です

岡岷山の「河内峠」と書かれた絵です。

どのあたりから描かれた絵なのか、タカ長には想像できません。遠景の山が窓ヶ山なのか、それさえも分かりません。

ついでにもう一枚紹介します。

    
                                  この画像もネットから借用したものです

これはタカ長が生まれ育った村の風景、ということです。

目の前の川が、子どものころ遊んだ「八幡川」であろうと想像は出来ますが、そのほかのことは想像できません。

200年以上前の絵ですし、岡岷山の目を通して描いた風景ですから、抽象画のようになっているのかも分かりません。

荒谷林道に鳥がいなかったお陰(?)で、久しぶりに旧河内峠に行くことが出来ました。

仲間たちとこの峠道を歩いてからかなりの時間が流れていますから、今年中には皆で歩きたいと思いました。

      

今日の軌跡です。右下部の青い丸が拙宅の位置を示しています。

そこから左に山陽自動車道を過ぎたところが「わが裏山」エリアになります。

      

左上に軌跡が止まっているところが旧河内峠です。

下に向いて軌跡が伸びていますが、これを行くといつもの道に通じます。その先が大杉集落です。

歩数を延ばすため少しだけ寄り道したわけです。

そのように歩いて、今日の歩数は10,500でした。

鳥には恵まれませんでしたが、とても気持ちのいい朝のウォーキングでした。