★箱根駅伝、青学大と東洋大、その違い。
東洋大の監督は東洋大生え抜きの41歳、選手としても監督としても輝かしい実績を持つ気鋭の若手、酒井監督である。
酒井監督の信条は、「同じ力なら上級生ではなく下級生を使う」、ことだという。
そして今回、往路優勝したが、総合では惜しくも2位、ただ離された2位で完敗であった。
対する青学大の原監督(50歳)、
青学には箱根駅伝に向けての学内選考会がある。
それは11月に行われる「世田谷ハーフマラソン大会」である。
そのレースには、青学駅伝チームの有力選手が、「箱根には俺が出る」とばかりに、大挙して参加し、順位を争う。
昨年、その大会で日本人トップが3年の林奎介であった。
1位アフリカ系実業団
2位アフリカ系実業団
3位青学3年、林奎介
4位東海大学生
5位青学2年、吉田
6位青学1年、神林
7位青学3年、橋間
8位青学4年、近藤
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林奎介は今回、初出場ながら7区で区間新、MVP賞を取った。そしてその時の青学2位が2年の吉田、3位が1年の神林であった。
その1,2年生の後塵に、箱根ではアンカーを走った橋間(3年)と9区の近藤(4年)がついた。
特に4年近藤の場合は、昨年の夏前に本寮から二軍寮への移動を命じられ、その時点で選手引退を覚悟したという。まだ一回も駅伝に出たことがなかったのだが。
しかし、近藤は腐らずに最後のチャンスである世田谷ハーフに自身を賭けた。
そして参加者総計1500名のうち100余名の大学トップランナーの中で、第8位でゴールインした(青学5位)。
それはついに、4年最後で箱根駅伝メンバーの切符を獲得した瞬間であった。
その一方で、近藤より上位に来た青学2位と3位の2年吉田と1年神林は箱根ロードで勇姿を見せることはなかった。
つまり原監督は、「同じ力なら下級生ではなく、上級生を使う」という理念を持っていたことになる。
巷間、来年の東洋大は今年活躍した1,2年がいるから、もっと活躍するだろうと言われている。だが果たしてそうだろうか。
大学駅伝はプロではない。襷(たすき)を繋げようとする熱情と友情が底力を生むのだ。
そして3年、4年の兄貴らが1年、2年の弟らを引っ張り上げるのだ。
繰り上げスタートの後、誰もいない中継点に転がって来るランナーの無念の号泣は、何を意味するのか。走れメロスのように信頼と友情に応えられなかった無念さではなかったか。
もう一度言おう、大学駅伝はプロじゃない。
4年間の切磋琢磨の汗と涙の結晶なのだと。
(じゅうめい)
青学大は大会新で総合優勝のV4、第2位東洋大との差は4分53秒差であった。