★嗚呼、靖国の桜
花となれ風となれ、わが魂魄、蛍となりて帰り来たらん。 (じゅうめい)
★坂井三郎と神風特攻隊
アメリカの戦闘機グラマンと毎日のように空中戦で凌ぎを削り、ゼロ戦の撃墜王と呼ばれた坂井三郎は神風特攻について、戦後、次のように語った。
「戦闘機乗りを志願した時から死ぬ覚悟はできていた。敵機と空中戦をやり敵を葬る、しかし我が身に武運がなければ死ぬ、それは本望だった、何の悔いもない。だが、特攻は違う。200キロ爆弾を抱え、片道燃料しか積まず、敵艦に突っ込むのは違う。そんなものの為にゼロ戦の戦闘機乗りになったのでは断じてない」
ある時、坂井三郎は南太平洋上において、群がるグラマン戦闘機と激しい空中戦を行い、敵の機銃を浴び顔面血だらけ、右目失明の瀕死の重傷を負ったが、部下のゼロ戦1機を従え、夕闇の洋上をひたすら飛び、母なる遠いラバウル基地に戻って来たというエピソードを持つ。
坂井、「当時のゼロ戦にはレーダーとかGPSなどある訳もなく、夜ともなれば手動の方位計も使えず、ただ自分の勘を信じて暗い海の上を飛ぶだけという燃料との勝負だった。自分の勘がはずれれば自分を信じてついて来る部下のゼロ戦と一緒に海に突っ込むしかなかった」
燃料も尽きかけようとしたその時、ラバウルの島が薄く滲んだように視界に入って来た、私はその時、神を信じた。機が最後の力を振り絞り、フラフラと基地に着陸したとき、整備兵は血で真っ赤に染まった私の顔を見て泣いていた、そして列機から降りて来た部下はヘナヘナと地面に座り込んだ。
右目失明のため、坂井三郎は前線を離れ本土へ帰還、戦後に生きて知覧航空隊、台南航空隊、ラバウル航空隊のゼロ戦激闘史を記し、戦争の体験を後世に残した。
(じゅうめい)