光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

シンカンセンの代替列車に思ったこと

2022-04-21 05:02:02 | その他
 今回は先日ようやく開通した東北新幹線絡みのネタ。
 メインブログで4月5日に書いた話の再録です。

 先日帰省の折に出会った大地震に関連して勝手に思ったことを。


 往路、復路の東北道から見渡す事の出来た脱線列車のE5系。

 あの時は東北本線でも不通区間がありましたから、北東北、一部北海道と首都圏を結ぶ鉄道が断ち切られた状態でした。
 (この点、道路が地割れにやられていても迂回路が設定しやすい自動車は確かにこういう時には強いと実感してもいるのですが汗)

 その翌々日くらいには新幹線の復旧には相当な時間が掛かる見込みで、代替の列車が設定されるという情報が地元紙に掲載されていました。
 盛岡-仙台間に全席自由席の快速列車を一日2往復程度走らせるという事でしたが、まだ第一報という事もあってどんな車両が充当されるのかはその時はよくわかりません。

 昨日辺りのニュースでは仙台ー郡山間は東北本線を使い新潟から応援に来たE653系が充てられているとは聞いていたのですが、盛岡ー仙台の間を走る臨時快速も何かしらそれに準じる車両でも使われているのだろうかと思っていました。

 結局この区間に充てられたのはキハ110系だったそうで。

 なるほど、あの辺りの手持ちの車両で使えそうなものと言えば701系(笑)よりはキハ110という事になるでしょうか。快速とか急行とか言っても京王の電車みたいに通勤車の停車駅だけ減らしたような物は田舎の場合正直ぞっとしないですし。

 もし、今回の様な事が昭和の終わり頃にでも起こっていたら485系とか475系、或いはED75の牽引する12系辺りかなと想像するのですが、今どきの車種のバラエティの少なさゆえに代替列車を想像しても意外性のあるものは思いつかなくなっている気がしました。

 (写真の車両は手持ちの物から外見上の仕様が近いものを選んだものです。間違っても「食堂車付きの特別快速が走っている」という意味ではありませんので念のため汗)

TEZMO SYNDOROMEとマツダキャロルのはなし

2022-04-12 05:33:03 | その他
 今回は先月更新された「TEZMO SYNDOROME」の姉妹編です。

 今回のはなしでは主人公の「鉄(模)女」風奈が赤羽の模型屋さんで買ったKATOのキハ82系を愛でるのがメインのはなしなのですが、漫画の冒頭で風奈のルームメイトの麻里が同じ店で買った「自動車のプラモ」の製作を風奈に頼み込むくだりがありました。

 で、そのプラモと言うのが「マツダの初代キャロル」それも後期型です。

 これに思わずビビッと来るわたし(爆笑)

 実は私の亡父が50年以上前に免許を取って初めて買ったマイカーと言うのがこの初代キャロルでした。
 サブのブログでは、これまで亡父やわたしのクルマ遍歴について随分と書いて来たのですが、一番最初のマイカーであるにも拘らず、このキャロルの事をまだ書いていなかったのを思い出しました。

 今回の掲載は当時を思い出すにはいいきっかけと思うのでこの機会にそのキャロルの思い出話も書きたいと思います。

 父が初めてキャロルで乗り付けてきたのは確か昭和43年か44年頃と記憶しています。

 あの頃は軽自動車でもスズキのフロンテやダイハツのフェロー、そしてHONDAのN360が台頭してきていた時期でそれまで主流だったスバル360やマツダのキャロルがそれらの新興勢力に徐々に追い立てられつつあった時期でもありました。

 そんな折にキャロルを購入した父の意図は今でもよくわかりませんが、他社の軽に比べるとセダンの様なノッチバックデザインは小さいながらもなかなか立派に見えたものです。

 購入後しばらくは共稼ぎだった父と母、そして当時小学生だったわたしの3人を詰め込んで朝夕の通勤、通学にこのキャロルが供されていました。

 ただ、一応4ドアセダンだったとはいえ後席などは小学生、それも低学年の餓鬼が二人も乗ればキツキツの狭さでした。いわゆるクリフカットのCピラー造形のおかげで頭が窮屈と言うのだけはなかったのですが、横方向の狭さは如何ともし難いものがありました。
 しかもこの状態だと「荷物なんかまず載らない」

 今にして思い出すのですがこのキャロルに乗っていた時期は「クルマで買い物に出掛けたという記憶がありません」3人乗って3人分の買い物荷物を飲み込むほどの余裕はこのクルマには殆どなかったのでしょう。

 走りは他のクルマに比べるとかなり喧しかった筈なのですが不思議とその記憶がありません。
 恐らくですがあの当時は未舗装路がかなり多かった(1972年当時で日本の道路舗装率は20%だったそうです)せいか「砂利道のノイズの方が強く印象に残っていた」せいでしょう。

 一度か二度平坦路で、父が試しに「時速100キロ」を出してみた事がありますが、メーター上とはいえ時速100キロは助手席にいたわたしからするとかなりの恐怖体験でした。なにしろ当時はシートベルトどころかヘッドレストすらなかったのですから無理もない。
 (実際はメーターの甘さを勘案して時速80キロ内外だったのではないかと思います)

 流石に親子3人(翌年弟が生まれて4人)ともなるとキャロルでは余裕がなさすぎるのは明白でした。
 そのキャロルは二年ほどで同じマツダのファミリアプレストに切り替わります。

 今ではそのキャロルは当時撮影された8ミリフィルムの映像かTLVのミニカーで偲ばれる存在になりました。
 鉄道模型用としては確か津川洋行のメタルモデルにこの仕様のキャロル(パトカー仕様も)が出ていたと思いますから、スバル360と並んでこのキャロルもレイアウト上で活躍させることができるのは有難いはなしですね。

 「キャロル」と言う軽自動車はその後20年以上を経て一度復活していますが、復活後の3代目以降はスズキアルトのOEM車になってしまい、街角で見掛けてもキャロルと意識されない不憫な存在になってしまった感があります(涙)

 さて、「TEZMO~」では風奈がキャロルのプラモの製作を約束しているので、次回辺りその漫画が載るのかなとかひそかに期待していたりします。
 何か今回の記事はキハ82の時よりも分量が多くなったような気が(汗)

また地震!

2022-04-03 05:27:49 | その他
 本記事は3月17日夜にメインブログで書いた記事の再録となります。

先ほどブログ記事を書いている最中にぐらりと来ました。

 振幅の長さから言って震源が遠いとは思っていましたが、また福島沖です。
 しかもM7.3で津波注意報も発令とは。

 ついこの間3・11が11年目を迎えたばかりというこのタイミングでのこの地震。
 当地は震度4前後らしいですが、感覚的にはそれより強い感じがしました。
 改めて地震というものの持つ突発性の怖さを改めて感じました。

 故郷の方も震度5を記録している様で、この調子では朝になったらどんな被害が明らかになっているのか気が気ではありません。
 (幸い、実家の方は大したことはなかった様子でしたが)

 まだまだ地震は油断がなりませんし、怖いものです。

「TEZMO SYNDOROME」と初代キャロルのはなし

2022-03-26 05:03:31 | その他
 前回に引き続き「TEZMO SYNDOROME」のはなしから

 さて、今回のはなしでは主人公の「鉄(模)女」風奈が赤羽の模型屋さんで買ったKATOのキハ82系を愛でるのがメインのはなしなのですが、漫画の冒頭で風奈のルームメイトの麻里が同じ店で買った「自動車のプラモ」の製作を風奈に頼み込むくだりがありました。

 そのプラモと言うのが「マツダの初代キャロル」それも後期型です。

 これにビビッと来るわたし(爆笑)


 実は私の亡父が50年以上前に免許を取って初めて買ったマイカーと言うのがこの初代キャロルでした。
 当ブログではこれまで亡父やわたしのクルマ遍歴について随分と書いて来たのですが、このキャロルの事をまだ書いていなかったのを思い出しました。

 今回の「TEZMO SYNDOROME」の掲載はいいきっかけと思うのでこの機会に当時のキャロルの思い出話も書きたいと思います。

 父が初めてキャロルで乗り付けてきたのは確か昭和43年か44年頃と記憶しています。
 あの頃は軽自動車でもスズキのフロンテやダイハツのフェロー、そしてHONDAのN360が台頭してきていた時期でそれまで主流だったスバル360やマツダのキャロルがそれらの進行勢力に徐々に追い立てられつつあった時期でもありました。
 そんな折にキャロルを購入した父の意図は今でもよくわかりませんが、他社の軽に比べるとセダンの様なノッチバックデザインは小さいながらもなかなか立派に見えたものです。

 購入後しばらくは共稼ぎだった父と母、そして当時小学生だったわたしの3人を詰め込んで朝夕の通勤、通学にこのキャロルが供されていました。
 一応4ドアセダンだったのですが後席などは小学生、それも低学年の餓鬼が二人も乗ればキツキツの狭さでした。いわゆるクリフカットのCピラー造形のおかげで頭が窮屈と言うのだけはなかったのですが、横方向の狭さは如何ともし難いものがありました。
 しかもこの状態だと「荷物なんかまず載らない」

 今にして思い出すのですがこのキャロルに乗っていた時期は「クルマで買い物に出掛けたという記憶がありません」3人乗って3人分の買い物荷物を飲み込むほどの余裕はこのクルマには殆どなかったのでしょう。

 走りは他のクルマに比べるとかなり喧しかった筈なのですが不思議とその記憶がありません。
 恐らくですがあの当時は未舗装路がかなり多かった(1972年当時で日本の道路舗装率は20%だったそうです)せいか「砂利道のノイズの方が強く印象に残っていた」せいでしょう。


 一度か二度平坦路で、父が試しに「時速100キロ」を出してみた事がありますが、メーター上とはいえ時速100キロは助手席にいたわたしからするとかなりの恐怖体験でした。なにしろ当時はシートベルトどころかヘッドレストすらなかったのですから無理もない。
 (実際はメーターの甘さを勘案して時速80キロ内外だったのではないかと思います)

 流石に親子3人(翌年弟が生まれて4人)ともなるとキャロルでは余裕がなさすぎるのは明白でした。
 そのキャロルは二年ほどで同じマツダのファミリアプレストに切り替わります。

 今ではそのキャロルは当時撮影された8ミリフィルムの映像かTLVのミニカーで偲ばれる存在になりました。

 TEZMO~では風奈がプラモの製作を約束しているので次回辺りその漫画が載るのかなとかひそかに期待していたりします。
 何か今回はキハ82よりも分量が多くなったような気が(汗)

大雪の日

2022-02-17 05:31:47 | その他
 今回は日常ネタから。メインのブログの2月11日の再録です。

 大雪の予報が出ていたので覚悟はしていたのですが、朝から雪です。

 今のところ大雪と言うほどにはなっていないのですが、それでも周辺部ではかなりの積雪になっていまして、ただでさえ悪い物流の便が凄い事になりそうな予感がします。

 うちのエスクァイアも雪まぶれ。
 まあ、故郷の降りに比べればかわいいものなのですが、この辺の雪はいわゆる「スタッドレス殺し」のベシャ雪なので、ちょっとしたことで滑ってしまい始末に負えません。

 おまけに(これも毎度毎度書いている事なのですが)これ程の雪の中を走るのにフォグランプを点けない輩がまだまだ多い。
 御大層なSUVに乗っているのに、雪の中で無灯火走行を平気でやるのですから危なっかしいことこの上ありません。
 どうかするとこの期に及んで夏タイヤのままなんてのもまだ居そうで怖いです。

 (余談ですがハロゲンと異なりLEDのライトは熱を出さないので、雪道でヘッドライトを点けっぱなしにしても「ライトの熱でライトの周りに積もった雪が溶ける」事が少ないので、これはこれで怖い気がするのですが)

 この辺りは計ったように5~8年おきに大雪が降るところなのですが、雪国や寒冷地に比べるとまだまだ不用心な所が感じられはします。
 とはいえ、わたしもひとの事は言えないですから十分用心しないといけません。

寒い・・・

2022-02-16 05:30:01 | その他
 今回は日常ネタから

 1月も半ばを過ぎ、しかもコロナ禍の猖獗もあって休日ばかりか、平日の夜間の外出も激減しています。
 こうなると自宅で暖かくしていながら、模型いじりでも・・・と行きたいところですがわたしの場合なかなかそうも行きません。

 なぜと言って自宅の中といえども「寒さにやられがち」だからです。

 現住地の自宅は故郷の家と違って、断熱材が薄い上に母屋の方は隙間が多いために外からの冷気が盛大に侵入する環境。
 今このブログを打っている部屋なんかは暖房が動いているのに室内気温15℃を割り込み、しかも暖房を止めるとこれが10分間で8℃くらいまで下がります。
 実際に体験してみるとわかりますが、これは下手な寒冷地の住宅にいるよりもかなり寒いのです(同じ条件の部屋でも断熱材や二重窓のおかげで室内気温が10度を下回らないし、晴れていれば太陽熱が窓から逃げにくい)

 工作ひとつとっても指先がかじかんで細かい動きがやりにくいのですから困りものですね。

 勢い早寝を決め込んで布団の中で本なんかを読む事が増えるのですが、そうなると今度は「本を持つ指先がかじかんでくる」のがまた困る。
 RMやとれいんなんかの大判の雑誌やムックなんかで顕著です(汗)

 こういう時は暖房よりも内から温まるコーヒーやお酒の方が有難く感じられます

 それにしても、現住地は夏場の暑さもたまらないものがあるのですが、冬場の底冷えもどうして馬鹿になりません。

過ぎ行く「鉄夏」2021をふりかえる(汗)

2021-09-22 05:35:57 | その他
 つい今週の初めまで猛暑にゆだっていたはずなのが9月に入った途端に秋の長雨状態に逆戻り。
 しかしお盆の時と違って無闇に蒸し暑いのではなく肌寒さをも感じさせる辺りは「秋の到来」を感じさせますね。

 思えばこの夏は昨年以上にコロナ禍の影響を受ける季節でした。
 急激な感染者数の増加から現住地も警戒区域に指定され、イベント類は軒並み中止。
 私自身も夏場の帰省を見送らざるを得ませんでした。

 気候的には猛暑と長雨が入れ替わりで訪れたため体調的にも落ち着きませんでしたし、一方で長雨のせいで草むしりもできなければ除草剤も使えなかったので1週間も経つと前に上回る勢いで雑草や雑木が伸びまくるのには閉口しました。

 こんな折ですから実車の鉄道を利用する頻度は殆どなくなりましたし、都会に遊びに行く等という行為もできません。

 結局自宅で模型を弄るか、近場のショップ(模型屋も中古屋も)を巡るかするしかなかった夏でした。
 あと、例年なら暑さにかまけてほとんどやらない自宅のひとり運転会の頻度も高かったと思います。

 昨年の今頃は積みキット化していたペーパーストラクチャーをひたすら消化していましたが、今年は一転して車両工作、それもレストアや軽加工をメインに16番のプラモデルにも手を出すという点で昨年よりもバラエティのある手の使い方ができた感じがします。

 あと有難かったと言えばWEBマンガで鉄道模型ネタが出てきたり、鉄道模型関連の書籍で電子化された物に当たった事でしょうか。
 炎天下の昼間では工作すら億劫になりがちでしたから本屋に行かなくても取り寄せが利く「電子書籍の読む鉄」ができる事は大いに助かりました。

 かくして今年の「鉄夏」も過ぎてゆく訳ですが、せめて現状がこれから落ち着いてくれることを祈るばかりです。

ブログ14周年に思うこと

2021-06-19 05:05:32 | その他
 当ブログが前のサービスで2007年に開設されてから今月で14年目を迎えます。

 まあ、開設記念日自体がどうかすると私自身が忘れたりする事もあったりして結構いい加減ですが(汗)

 昨年に引き続きコロナ禍に伴う休日蟄居と出張や研修を含めた遠出の制限が続いている状況ですが、その間積みキットの消化やら自宅運転の増加やらでそれなりにホビーライフの変質はあるものの、どうにかやっているという感じです。
 そういえば10年前の震災とそれに伴う様々の影響があった時も暗然とした気分の中でも「気が付いたらモデルを弄っていた」事で不思議と気分が落ち着いた事を思い出します。

 開設以来14年の間には私にとっては血縁者の死別が複数あったほかに社会的な影響のある変転が二度も続いていた訳ですが、そのどの場合でも私にとって趣味を愉しむ事が一種の救いとなったのは間違いありません。

 趣味自体が心を鎮め、落ち着かせ、どうかすると気分すら高揚させてくれる。
 このご利益は歳を重ねてゆく毎により強く実感するところです。

 また、昨年辺りからはネットを経由したコメントやアドバイスを頂く中で工作やレストアなどのハードルがクリアされる経験が重なったのも大きな変化でした。
 それでなくとも蟄居状態の中でネットのコメントでのやり取りが細々ながら続いて来た事それ自体も心の鎮静に大きく役立ってきましたから、いい意味でネットのご利益も享受してこれたとも言えます。

 15年目に入ってもマイペースで、書きたい事があったら書く(内容のいい加減さは置いておいて汗)というスタンスは変わらないと思います。
 しかも例によって鉄道とテツドウモケイのはなしばかりのブログですが、読者の皆様には今後もよろしくお願いします。

とある平日休のキッチンモデルライフ(笑)

2021-03-10 05:19:55 | その他
 先日は久しぶりの平日休。
 コロナ禍の影響もあり基本自宅蟄居に近い一日です。

 という訳で遅めの朝食が終わると、早速作りかけのペーパーキットの仕上げに掛かります。

 前にも書いた事がありますが私の工作場所は家族の邪魔にならない範囲で「台所の片隅、流しの脇」を使う事が多いです。
 火を使う場所だけに塗装の類はできないのですが頭上に換気扇があるので簡単なプラ工作程度まではできます。

 尤も、ここ1年くらいは車両もストラクチャーもペーパーキットが主体ですし、塗装も外で行なうので台所モデリングのデメリットは意外に少ない。デカール貼りで「蒸しタオルが欲しい」時なんかは脇の電子レンジで手軽にできたりしますしカッターマットがあれば流しに傷も付きません。
 問題は「毎回工作が終わったらすべて元通りに撤収しなければならない事と(当然ですが)調理中や皿洗い中は使えなくなる事」です。
 まあ、毎回片付け癖が身に着くと思えば悪くはないですし、工作がしたさに食器洗いを率先してやってしまうメリットもないではありません。

 BGMは後ろのラジオから流れる「東京FM」
 特に昼間の番組は田舎住まいからすれば別世界の様な都会っぽさが感じられ、これも一種非日常的な空気に浸れます。
 (これが地元のミニFM局なんかだと自分が田舎にいる事を認識できるメリットもw)

 工作がひと段落着いたところで流しの裏側にこっそり存在する「鉄道カフェ風スペース」で紅茶とおやつを。
 一見こう書いたらカッコいいですが壁面は冷蔵庫の側面ですし背中合わせに流しですから、視線を動かすと「ただの台所」です。

 夕方に晩御飯のおかずを買いに外出したほか、その日は蟄居で済ませてしまえました。

 ですが外に出ると夕焼けの山々が眩しい。
 たとえ表の通りであってもたまには外の空気を吸わないと体に悪いという事も認識させられます。

 さて、平日休を使ってやった工作については次の機会にでも。

ここに来てのコロナ禍のはなし

2020-12-22 05:30:32 | その他
 基本、このブログでは時事ネタを扱わない方針なのですが、何分事象と趣味との関係が少なくない事もあって久しぶりに取り上げようという気になりました。

 なので辛気臭い話が嫌いな向きにはご勘弁ください。



 いつもの年ですとこの時期の当ブログでは暮れのイベントに伴うクラブの運転会を題材にいくつか書いているところなのですが、コロナ禍の折イベント自体が中止になりました。

 結局今年は夏以降もイベント運転会はすべて中止。おかげでテツドウモケイに関する限り例年にない静かな年末を迎えつつあります。

 先月半ばから感染者(保菌者ともいうべきか?)が増えだし、寒さと乾燥による猖獗リスクが増大する中、イベントどころではない状況なのは間違いありません。田舎とはいえ私の現住地でも比較的身近に感染者の発見があったりしていますし、いつまでも無菌地帯でいる訳でもないという現実を感じさせられます。

 今思えば、こうしたイベントに参加し鉄道模型の趣味を披露しながら未知の層の方々に興味を持っていただけること、望外の同好の士と話を交わせること、そしてこの時にしか会えないクラブのメンバーと交流を持てること、それらの全てがとても貴重なものであったことを痛感しています。
 元々インドアで外部との交流が少なかった鉄道模型の趣味がこういう形で「外に出始めている」というのは従来、少なくとも平成の初めころ辺りの間隔では考えにくい事だったと思います。それがつい昨年までの十数年の間に一種の社交性やアウトドア性を身に着け始め、一つの趣味としてのテツドウモケイの認知を果たし始めました。そういう変化に半ば戸惑いつつも悪い話ではないなと思い始めていた矢先の今回のコロナ禍です。

 せっかくここまで来ていたのにという思いを感じない訳にはいきません。

 そんな訳で春からこっちそれなりにくさくさした状態があった(いや、今でも進行中なのですが)のですが、そんな蟄居状態でも自宅での工作やら運転やらで手を動かしていると、今度はインドアとしてのテツドウモケイの楽しみも再認識している私がいたりします。

 この辺のアウトドアとインドアとのバランス感覚が取りやすいのもある意味鉄道模型の良い所なのかもしれません。

 それにすら飽きたとしても今度は「読むテツドウモケイ」の楽しみだってある訳ですから。

 コロナ禍の影響というともうひとつ

 毎年この時期恒例としていた年末年始の実家への帰省も今年は見送らざるを得ません。
 ここ数年来実家のお座敷エンドレスで開催してきた「年越し運転」ですが、今年は自宅のレイアウトを使って開催する事になりそうです。

 それならば、少しでも華やかにやりたいとか今から考えていたりします。

 とはいえ大事なのは「これからもコロナには常に気を付けて体調管理する」という一点に尽きます。

 こんな駄文にお付き合いさせてしまった皆様もお互い注意しつつ年末年始を迎えたいですね。
 どうかご自愛ください。

秋が近付き・・・

2020-09-26 05:32:40 | その他

 9月も半ばに近づき、ひところの様な猛暑は徐々に凌ぎやすい気候に変わりつつあります。
 とはいえ汗っかきの暑がりの私の事、少なくともお彼岸が過ぎる位の涼しさでないとレイアウトの改修などの作業に掛かれないのも困りものです。

 例年ですと次年度のグランシップを目標にモジュールの改修作業に掛かる時期が近付いているのですが、昨今の情勢を思うと来年予定通りにイベントが開催できるか微妙な所です。
 ですが今回改修をもくろんでいるモジュールはそろそろ改修時期に来ているので、イベントとは関係なしにリニューアルの必要性があるのも確かです。ステイホーム傾向で肉体的にも最新的にも纏まった作業が必要な時期でもあると思うので、ここは自分に一鞭入れてとりかかりたいところです。

 空は徐々に秋空に近づき、黄昏どきの夜景がきれいな季節も近いことを実感できます。

 家からちょこっと出かけるだけでこういう風景が見られますから、まったくこういう時田舎はいいですね。

コロナ禍と鉄夏

2020-09-12 05:16:14 | その他
今回の元記事は8月29日の物です。今となっては若干ずれがありますがご勘弁ください。

 8月もそろそろ終わりを迎えつつあります。
 思えば今年の8月もコロナ禍に伴うステイホームの夏ではありました。

 ときたま近所の山道をドライブするものの遠出は原則なし。
 子供の学校はカリキュラムの変更でお盆明けが即新学期で実質2週あるかないかでした。

 そのお盆も盆踊りはもとよりお坊さんの棚経までもが中止となり、実質墓参り(と草むしり)だけのお盆。

 通常の生活ですらこうですから、鉄道模型関連のイベントなどは壊滅状態。行きつけの鉄道カフェも事実上休業していますしとにかく出歩かない8月ではあったのは間違いありません。

 それでも夏は暑いもので、猛暑どころか40℃以上の超が付く高温を含めて丸々3週間くらい晴れが続いたのも特筆ものでした。
 これがどう影響したかというと「レイアウトの運転が暑くてできない」事。
 なにしろ朝の7時の時点で「暑くて寝ていられない」くらいでしたからステイホームどころではありません。

 休日の朝5時台6時台(この時間がそこそこ暑くなくて外も明るい)にゲリラ的にレイアウトでの運転をするなんて経験も初めてだったりします(汗)
 そんな一方でペーパーキットのストラクチャー製作だけが進むこと進むこと

 あらゆる意味でこれまでの「鉄夏」とは異なるノリの8月となりました。
 今の現状に鑑みて来年以降の夏が昨年までの夏と同じノリになるとはなかなか思えないのですが、今年の夏が後々印象に残る夏になる事だけは間違いありません。

 さて、このまま9月が近付く訳ですがさて、どうなりますか。

今年もやってきた・・・

2020-08-22 05:21:37 | その他
 毎年この時期にこのネタを書くのが恒例になっていますが(笑)

 今年もついにやってきました。そう、梅雨明けです。
 先月は殊の外雨が多く、晴れ間に出会うこと自体が非常に珍しかったです。畑の野菜類は軒並み不出来で芋は小さくキュウリは根腐れを起こしナスなどはこれまた例年にないひょろひょろぶりでした。
 ですから7月31日の時点までは「今年は梅雨明けはないのではないか」なんて本気で心配していたのですが、その翌日の8月1日に突然梅雨明け宣言。

 以来昼間は日差しが強烈、蒸し蒸しした感じこそ薄れたものの今週に入ってからは連日の猛暑日です。

 私の場合、汗っかきの体質が祟って例年梅雨明けから彼岸の明けくらいまでの時期は暑すぎて大掛かりなレイアウト、モジュールの改修なんかは全くできなくなります。
 何しろレイアウトのある場所が冷房のない所だけに普通の運転すら汗だくだったりするので困りものです。

 そこへ持ってきて例のコロナ禍で外出や遠出までもが激減していますから、この夏は「くそ暑い休日を家に籠って過ごす」という例年にない異例な夏になりそうです。

 ここ半年くらい週に一軒くらいのペースで増えているペーパーストラクチャーの積みキット消化ばかりがひたすら進んでいることくらいが取り柄でしょうか(でも出来上がった「街一個分」の建物類をしまうのがまた大変だったりするのですが)

 後、梅雨時にはできなかった「塗装を伴う車両工作」なんかもそろそろ始動させたいところです。

 まったく今年ばかりは「インドアとしての鉄道模型趣味」を再認識する夏になりそうですが、それでもこういうご時世に家に籠ってできる趣味があったという事に感謝しない訳にはいきません。

 それにしても汗っかきには酷な気候なこと!熱帯夜もちらほら出てきましたし。

肺炎騒動に思うこと2

2020-04-18 05:19:35 | その他
 前にこの題材でブログを上げてからちょうどひと月になります。

 その時点では開催の可否が流動的だったグランシップトレインフェスタですが、つい先日今年は中止との発表があり複雑な気分です。

 無症状の感染者の比率が高いといわれる子供や若年者のギャラリーと、重症化リスクが高いとされている高年層が多い参加者が大空間とはいえ密閉度の高い会場で入り混じる事は非常にリスクが大きいのは確かであり、現在も感染者数が漸増している現状を思うとやむを得ない決断だったと思います。

 とはいえ、これまでインドア趣味の極北(笑)だったテツドウモケイという趣味が世間に開かれた存在になり得ること、未知の他者との交流の中で趣味そのものの深化が図られている事を実感してきた身としては残念に思うのもまた確かです。

 今はこの事態の鎮静化を祈るのみ。
 そして個々の心構え、用心をもってこの局面を乗り切るほかはないと思います。

 ですがその一方で「個人が自宅の一室でモデル相手に手を使いながら内なる自分と対話する(なんだか大仰だな)」というテツドウモケイの趣味のもう一方の側面がこの事態の中で再び前面に出てきている事も実感します。
 クラブのメンバーの中にもこの機会に仕掛かり品のモデルの工作に注力している人もいますし、私自身積みプラ状態だったモデルの工作がここひと月くらいの休日の過ごし方として定着してきています。

 しかもそれらの成果や経過をこうしてネットという形で発信することができる点、昔とは違う流れを実感もしています。

 ここ数年の「イベントなどを通した外へ飛び出す趣味としての鉄道模型」という面が表に出ていた中でやや忘れられがちになっていた部分ではありますが、こうした「動中静」と今の状況の「静中動」とが状況に応じて使い分けられるくらいにこの趣味も成熟しつつあるのかもしれません。

 そう思うと今回の試練を無駄にはしたくないという気もします。

 このブログの読者の皆様もそれぞれのやりかた、それぞれの立場でこの局面に対している事と思いますがどうかご自愛ください。
(写真は本題との直接の関係はありません)

例の肺炎騒動に思うこと

2020-03-15 05:24:01 | その他
 私は普段、晩飯時にスポーツ中継を見るという習慣はほどんどないのですが、一昨日はたまたまチャンネルをひねっていてCSの巨人×ヤクルトのオープン戦を目にしました。

 マウンド周辺だけ見ているといつものプロ野球のそれなのですが、会場の東京ドームは全くの無人状態。これほど異様なプロ野球中継のテレビというものをこれまで私は見たことがありません。おそらくこんな事は空前の出来事でしょう。

 そして昨日は、帰りがけに近くのスーパーに買い物に立ち寄ってみるとマスクはもとよりトイレットペーパーやティッシュまでもが全く払底していて往生させられます(そもそも肺炎でなぜトイレットペーパーが買い占められなければならないのか理解に苦しむのですが)
 いつもなら日曜の昼から夕方にかけて交通量が増え、渋滞の一つや二つ当たり前だったはずの高速道路もガラガラだったりします。

 明日から学校も休校という事で表通りの車も心なしかまばらに見えますし。
 目に見える範囲だけでも、今回の事態が如何に影響を与えているかが窺われます。

 それは趣味の世界でも同様で5月の静岡ホビーショーの中止の情報が流れてから、ほかのイベントに波及するのか否かが私の周囲でも話題となっていますし、実際にさよなら運転の中止なども発表されている由。
 現在の事態が今後どうなるかがまるで読めない状況のもと、不安や心配が周囲でも募っているのが感じられます。

 まあ、実生活の世界で不便を強いられたり警戒が強まったりするのは仕方がない事ではあるのですが、鉄道模型に関してはイベントなどがここ10年くらいの間に広がったりしてはいるものの、基本個人レベルのインドア趣味である事に変わりありません。
 
 むしろ、こういう時こそ浮足立った気分を鎮める意味で少しでも手を使ってみるほうが、精神衛生上は良いような気もします。
 あるいはこの機会に普段やらないような工作とかに手を染めてみるとかもいいかもしれません。

 これだけの騒ぎの中ですから何かひとつくらいは落ち着くようなことがあってもいいのではないでしょうか。
 それもまた趣味の持つ本質の一つですし。

 とはいえ、今この時点で私ができることと言ったら寝る前に布団の中で専門誌でも読むくらいしかないですが(大汗)

 当ブログは基本時事ネタは扱わない方針なのですが、実際に趣味に係る所に影響が出始めている事もあり今回は敢えてこういう内容にさせて戴きました。今後の展開には注意しつつ皆様もご自愛ください。

 (写真は本題に関係ありません)