政府がプロパガンダし続けている外的(外敵)テロがやはり「狼少年」であった様相を呈している今日この頃、日本ではまたまた内なるテロが起こった。アキバ無差別殺傷事件。
K容疑者は、一度派遣先の工場からクビを言い渡され、その2、3日後、派遣先の工場は解雇を撤回したらしい。しかし、事件後の記者会見で工場側は、一度解雇を言い渡していることには口をつぐみ、「解雇はしていない」などと“派遣”という不安定雇用が動機の一因になっていると推測されないよう図ったと見られる発言をしていた。
確かに、競争社会の中で子供の頃から“できる子”を演じることを求められ、結局演じ切れなかった容疑者の個人的資質が犯罪の大きな構成要因ではあるだろう。しかし、犯行(反抗?)を実行させようとする悪魔の声と、人間としての理性の声とが容疑者の心の中でせめぎあっているときに、容疑者の置かれていた現代日本社会の情況が悪魔の声の実行スイッチをONにする要因になったことは否めないだろう。
人間は誰もが多かれ少なかれ悪魔の声を聞くことがある。その声に従ってしまうのか、抗して人間として生きる道を進めるのかは、個人の資質もありこそすれ、やはり社会のありようにかかっている部分が大きい。なぜなら個人の資質もある程度は社会の産物だからだ。
社会のありようとは、経済や雇用の仕組み、競争か平等かといった大きなものから、地域、家庭、友人関係といった身近なものまでを含んでいる。身近な社会も、経済や政治、雇用、福祉といった大きな社会の影響を受けているし、回りまわって個人の生き方にも影響してくるだろう。
その向かう方向と強度は確率的であり、個人の資質と社会からの強い影響力とがたまたま融合したときに犯罪となって現れる。誰もが思い通り好き勝手に生きることができるわけではない社会では、強度の差こそあれ潜在的Kが少なからず発生せざるをえない面もあるのだが、最近の凶悪犯罪の頻発に見られるように、その顕在化率は社会のありようにかかっているのは間違いない。
「テロとの戦い」は実はここから始めなければならなかった。それは「環境」、「食糧」、「格差」といった現代の人類が抱える問題のキーワードにも通じる。今からでも始めないと人類も恐竜やレミングと同じ末路をたどることになるかもしれない。
おしなべて生き物はそうした宿命を負わされているものだが、宇宙のどこかにいるかもしれない他の知恵を与えられた生き物と同様に、人類は、そうした生物的宿命に抗することができるのか、その可能性を試されている。宇宙は人類にその望みを託し、恋しているのかもしれない。