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てらまち・ねっと



 3月の巨大地震、巨大津波以後、ときどき、過去の記録の見直しのことが報道されてきた。
 今回は、まとまって評価されているように思える。
 「千年に1回」とはいえ「6千年に6回」となれば、災害としては相当の確率だろう。
  「個人」の一生が「50年から100年単位」だから関係ない、という人もいるかもしれないけれど、そんな話でもない。
 
 地震の「千年に1回」とは、「数百年で起きる」にも限りなく近いのだろうから、
 人(ひと)がどこに住む、どのように暮らすのか、長いスパンで考えたら、十分に考慮すべきこと。

 ともかく、この分野のことの研究と解明が進むと、日本で原発を作ることは困難になると思われる。
 そんな記録。

  最後は関連と思われる「津波堆積物を用いた過去の巨大津波の研究」(産総研:活断層・地震研究センター)を見ておく。
 興味深い。

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●気仙沼、6000年に6回大津波 「貞観」石巻以北も到達か
              河北 2011年08月22日月曜日
小石など津波によって運ばれた堆積物を示しながら、津波の年代を推察する平川氏=気仙沼市本吉町の大谷海岸

 宮城県気仙沼市本吉町の大谷海岸が過去約6000年間で6回の大津波に襲われたことを示す地層を、北海道大の平川一臣特任教授(自然地理学)らが21日までに発見した。地層の年代測定は終わっていないが、このうち1回は貞観地震津波(869年)の可能性もあるという。貞観の痕跡は過去の研究で石巻平野が北限。年代測定で特定されれば、貞観地震は津波が三陸沿岸にも到達するほど大規模だったことになる。

 平川氏は4月、津波の痕跡高調査で大谷海岸を訪れた際、切り立った崖に津波で運ばれた海岸の石などの堆積物の層を発見した。

 湿った黒土層や泥炭層が重なる幅約7メートル、高さ約2.5メートルの範囲に、6層の津波堆積物を確認。上から5層目の下に5400年前ごろの十和田火山噴火による火山灰の層があり、火山灰の下の6層目の痕跡を約6000年前と推定した。

 見つかった土器の年代から、3層目は約2000年前の津波による堆積物と特定。津波堆積物の間の黒土層の厚さを基に、平川氏は最も上の層は1611年の慶長三陸津波、2層目は貞観地震津波と推測する。
 十和田火山は915年にも噴火しており、2層目より上にこの火山灰が確認されれば、2層目は貞観地震津波の可能性が高くなる。目視では火山灰と思われる物質があったという。

 岩手県宮古市田老の標高約17メートルの谷底でも、過去の津波堆積物を調査。まだ年代の決め手はないが、津波堆積物の一つは貞観地震津波の可能性もあるという。
 東北大などの研究では、貞観地震津波の堆積物は福島県から宮城県の石巻平野にかけて分布。石巻以北の陸上からは見つかっていない。

 この結果から研究者の間では、地震の規模が最低でもマグニチュード(M)8.3以上、震源域は宮城県沖から福島県沖の範囲とされている。仮に三陸沿岸にも津波があったとすれば震源域はより大きくなり、地震の規模も大きくなる。
 平川氏は「三陸沿岸まで貞観地震津波が届いていれば、地震の規模は東日本大震災と同じくM9程度だった可能性がある」と指摘。M9級の地震が過去にも発生した可能性があるとして、地層調査による津波の検証の必要性を訴えている。


●巨大津波:6000年で6回 周期性解明手がかり、宮城・気仙沼の地層に痕跡
          毎日新聞 2011年8月22日 
 東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県気仙沼市の海岸で、過去6000年に少なくとも6回の巨大津波の痕跡が残る露出地層を、北海道大の平川一臣・特任教授(自然地理学)らの研究チームが発見した。三陸沿岸を襲う巨大津波の周期性の解明につながる重要な成果と言えそうだ。

 4月に同市本吉町大谷海岸の切り立った高さ約3メートルのがけで、腐食した植物などが堆積(たいせき)した「泥炭層」の間に、津波で打ち上げられたとみられる海岸の石や砂で構成する六つの層を確認した。東日本大震災の津波調査で訪れ、見つけたという。

 平川特任教授によると、最下層の真上に約5400年前の十和田火山噴火時とみられる火山灰が含まれており、泥炭層の厚さや有史以降の記録から、過去3回の津波を▽慶長の三陸沖地震(1611年)▽貞観(じょうがん)地震(869年)▽約2000年前--と推定。それ以前は約1000年間隔とみている。今後、各層の試料の年代推定から時期を精査する。

 現場のがけは波に削られて6000年間で500メートル近く後退した。三陸沿岸は度々津波に襲われたが、がけを乗り越えた巨大な津波だけが「選別」されて地層となったらしい。東日本大震災での津波高は約13メートルだった。

 平川特任教授は「いずれも大震災に匹敵するマグニチュード(M)9級の超巨大地震だった可能性がある。巨大津波の痕跡を探すには今回のような高い場所での調査が重要だと言える。全国の沿岸でも調べるべきだ」と話す。【八田浩輔】

●巨大津波、三陸で6千年に6回か…地層に痕跡
            (2011年8月22日01時09分 読売新聞)
気仙沼市の大谷海岸で発見された巨大津波の痕跡。1000年おきに海中の石が運ばれた層が重なっている(今年5月撮影。平川特任教授提供)
 宮城県気仙沼市の海岸で、10メートル級の巨大津波が過去約6000年間に6回襲来していたとみられる痕跡を、北海道大の平川一臣(かずおみ)・特任教授(地形学)らが発見した。

 三陸地方の太平洋沖合では、東日本大震災のようなマグニチュード(M)9級の巨大地震が1000年に1回の頻度で繰り返し起きていた可能性を示すもので、国や自治体の防災計画の見直しに役立ちそうだ。

 津波は海砂や大きな石、貝殻などを運び、これらが陸地に堆積する。平川特任教授らは今年4~5月に、気仙沼市大谷海岸の崖で、過去約6000年分の地層について津波堆積物の有無を調べた。崖は標高約3メートルの位置にあり、数メートルの津波では堆積物は生じないという。

●巨大津波、千年に一度 三陸海岸の地層に痕跡
         朝日 2011年8月22日7時5分
 津波で運ばれてきた砂の層(白い目印)を指し示す北大の平川一臣特任教授=21日午前11時30分、岩手県宮古市田老、上田潤撮影


 巨大津波が約千年に1回、三陸海岸を繰り返し襲っていた可能性を示す砂や石の堆積(たいせき)物を北海道大の平川一臣特任教授が見つけた。東日本大震災を受け、中央防災会議などは科学的に可能性がある最大の地震や津波を想定して備える方針を決めており、巨大津波が繰り返された証拠は「最大」を決めるのに役立ちそうだ。

 平川さんは、宮城県気仙沼市で、海岸付近の高さ1~5メートルほどの切り立った崖に津波で運ばれた6層の砂石の地層を発見。岩手県宮古市では、今回の津波が32メートルまで達した地点の近くでも複数の地層を見つけた。

 三陸海岸の崖の上で何層も見つかったのは初めて。切り立った崖の上に痕跡が残っていたことから巨大津波と考えられる。地層に含まれる火山灰や土器から、6千年間で6回の津波が押し寄せたと推定した。

 ●津波堆積物を用いた過去の巨大津波の研究
    産総研:活断層・地震研究センター 「津波堆積物を用いた過去の巨大津波の研究」 から

1.はじめに
 産業技術総合研究所では,過去の巨大津波を解明するために,津波堆積物の調査・研究を過去10年以上にわたって続けてきました.津波堆積物とは沿岸低地の地層に残されている砂層で,自然が残した過去の巨大津波を記録です.それによって北海道東部の太平洋沿岸域で,今までに知られていない巨大津波が17世紀に沿岸域を襲ったことを明らかにしました.さらに,北海道での研究を発展させる形で,東北地方や西南日本の太平洋側の沿岸域などの津波堆積物の調査を実施してきました.そして,東北地方の仙台平野や石巻平野,そして福島県沿岸域の平野では,約500年間隔で巨大津波が発生していたことを明らかにし,公表してきました.

2.過去の巨大津波の記録
 今回のような巨大津波は全国の太平洋側で発生する可能性がありますが,過去の津波の規模や発生時期は歴史記録や地層の記録によって調べられています.西南日本の太平洋側では,過去の南海地震や東海地震の発生年代やそれによって生じる津波の規模がよくわかっています.これは,西南日本では巨大地震の発生間隔が比較的短く,また歴史記録が豊富に残されているためです.それらの記録で最も規模の大きい地震は,西暦1707年に発生した宝永地震で,駿河湾から四国沖まで一度に破壊したと考えられています.

 一方,東北地方や北海道では巨大地震の発生間隔が長く,歴史記録が少ないため,歴史記録だけでは過去の巨大津波の発生間隔や規模を推定することが出来ません.そのような場所では,自然が残した巨大津波の記録である津波堆積物が,過去の津波の発生間隔と規模を推定する唯一の手がかりになります.

 また,西南日本の太平洋側でも歴史記録が残されているのは西暦648年の白鳳地震までで,それ以前の記録は存在しません.さらに,江戸時代より前の地震についての歴史記録は完全ではありません.従って西南日本でも,歴史上知られていないような巨大津波が発生する可能性があるのかどうかを,津波堆積物の調査研究によって検証する必要があります.

3.津波堆積物
 津波堆積物は海岸に沿って発達する平野の地層に含まれます.海岸平野では海岸に沿って地形的にやや高い砂丘が発達し,その陸側は平坦な低地になっていて,自然のままの状態であれば湿原や干潟になっています.北海道東部の太平洋側ではそのような環境が残されていて,有名な霧多布湿原はその一つです.一方,本州の太平洋側では,かつての湿原はほとんどが開発され,水田になっています.

 湿原では水の流れが穏やかなため,砂がほとんど堆積せず,植物遺骸(泥炭)や泥がゆっくり堆積します.ところが,巨大津波は海岸から砂丘を乗り越えて流れ込んでくるため,そこに砂浜と砂丘の砂を浸食して湿原まで運搬し,広く砂の層を形成します.津波が去った後,湿原は再び元の姿に戻って,泥炭や泥が堆積することになりますが,結果として砂の層が泥炭や泥層中に挟まった形で残されるのが津波堆積物です.湿原では,津波以外にも,大規模な洪水によって砂が運ばれる可能性がありますが,砂に含まれる珪藻化石などを分析することによって,海から運ばれたか陸から運ばれたかを判別することが出来ます.このような砂層を丹念に追跡して,その広がりや年代を明らかにすることによって,過去の津波の浸水範囲を再現することが出来ます.

浜堤の模式図.浜堤の前進課程(a→b)とその際の津波堆積および火山灰の堆積,保存の過程.
(宍倉ほか, 2010, AFERC NEWS No.16)

掘削したピットに観察される津波堆積物の例.
巨大津波が残した津波堆積物(明るい灰色の部分)と泥炭層(濃い茶色の部分)を観察することができる.

4.今後の課題
 しかしながら,宮城県及び福島県の津波堆積物の調査に基づいて推定した過去の巨大津波を起こした地震(西暦869年貞観地震)の規模はマグニチュード8.4で,今回の地震よりはかなり規模が小さいものでした.これは,三陸海岸や茨城県沿岸で津波堆積物の調査が進んでいなかったことと,津波堆積物の分布域よりも津波浸水域が広いことを十分に考慮していないことも原因であると考えられます.実際の津波規模は,津波堆積物から再現できる津波規模より大きいと考える必要があります.今回の地震によって,本当の津波規模を精度良く推定するための手法を改善する必要があることが明らかになりました.

 このように,津波堆積物の調査・研究から津波の規模を正確に推定するためには,まだ課題がありますが,津波堆積物の存在そのものが自然からの重大な警告であることを認識する必要があります.今までに産総研の調査によって,津波堆積物の分布が確認できた地点は以下の通りです.

今までの津波堆積物調査地点と文献(編集中)

注:活断層・古地震研究報告およびAFERCニュースは活断層・地震研究センターのホームページから,PDFファイルをダウンロードできます.

1. 北海道東部沿岸
佐竹健治・七山 太(2004)北海道太平洋岸の津波浸水履歴図,数値地質図 EQ-1,産業技術総合研究所.
澤井祐紀ほか(2004)北海道東部厚岸町国泰寺跡において検出された津波堆積物の年代,活断層・古地震研究報告 第4号.
七山 太ほか(2004)北海道東部,根室市別当賀低地において記載された4層の津波砂層と広域イベント対比,活断層・古地震研究報告 第4号.
佐竹健治ほか(2004)17世紀に北海道東部で発生した異常な津波の波源モデル(その2),活断層・古地震研究報告 第4号.
鎌滝孝信ほか(2004)潮間帯における津波堆積物の分布様式:北海道東部,藻散布沼の例,活断層・古地震研究報告 第4号.
添田雄二ほか(2003)北海道東部,厚岸町史跡国泰寺跡の泥炭層中において発見された9層の津波砂層とその広域イベント対比,活断層・古地震研究報告 第3号.
七山 太ほか(2003)北海道東部,十勝海岸南部地域における17世紀の津波痕跡とその遡上規模の評価,活断層・古地震研究報告 第3号.
佐竹健治ほか(2003)17世紀に北海道東部で発生した異常な津波の波源モデル,活断層・古地震研究報告 第3号.
七山 太ほか(2002)イベント堆積物を用いた千島海溝沿岸域における先史-歴史津波の遡上規模の評価 -十勝海岸地域の調査結果と根釧海岸地域との広域比較-,活断層・古地震研究報告 第2号.
七山 太ほか(2001)釧路市春採湖コア中に認められる,千島海溝沿岸域における過去9000年間に生じた20層の津波イベント堆積物,活断層・古地震研究報告 第1号.
七山 太ほか(2001)イベント堆積物を用いた千島海溝沿岸域における津波の遡上規模の評価-根室長節湖,床潭沼,馬主来沼,キナシベツ湿原および湧洞沼における研究例-,活断層・古地震研究報告 第1号.

2.下北半島
予察調査のみ

3.仙台・石巻平野,福島県沿岸
宍倉正展ほか(2010)平安の人々が見た巨大津波を再現する-西暦869年貞観津波-,AFERSニュース,No.16/2010年8月号.
行谷佑一ほか(2010)宮城県石巻・仙台平野および福島県請戸川河口低地における869年貞観津波の数値シミュレーション,活断層・古地震研究報告 第10号.
澤井祐紀(2010)福島県富岡町仏浜周辺の海岸低地における掘削調査,活断層・古地震研究報告 第10号.
澤井祐紀ほか(2008)ハンドコアラーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調査,活断層・古地震研究報告 第8号.
佐竹健治ほか(2008)石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション,活断層・古地震研究報告 第8号.
宍倉正展ほか(2007)石巻平野における津波堆積物の分布と年代,活断層・古地震研究報告 第7号.
澤井祐紀(2007)ハンディジオスライサーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調,活断層・古地震研究報告 第7号.

4.茨城県日立市
調査中

5.房総半島
藤原 治ほか(1997)房総半島南部の完新世津波堆積物と南関東の地震隆起との関係,第四紀研究,36巻.

6.静岡県
藤原 治ほか(2008)完新世後半における太田川低地南西部の環境変化と津波堆積物.活断層・古地震研究,第8号.
藤原 治ほか(2007)静岡県掛川市南部の横須賀湊跡に見られる1707年宝永地震の痕跡.活断層・古地震研究,第7号.
小松原純子ほか(2006)沿岸低地堆積物に記録された歴史時代の津波と高潮:南海トラフ沿岸の例,活断層・古地震研究報告 第6号.
高田圭太ほか(2002)静岡県西部湖西市における遠州灘沿岸低地の津波堆積物調査(速報),活断層・古地震研究報告 第2号.

7.志摩半島,紀伊半島
藤野滋弘・小松原純子・宍倉正展・木村治夫・行谷佑一(2008)志摩半島におけるハンドコアラーを用いた古津波堆積物調査報告,活断層・古地震研究報告 第8号.
小松原純子・岡村行信(2007)三重県志島低地における津波堆積物調査(予察),活断層・古地震研究報告 第7号.
小松原純子ほか(2007)紀伊半島沿岸の津波堆積物調査,活断層・古地震研究報告 第7号.
潮岬にて調査中.

8.紀伊水道周辺
七山 太ほか(2002)紀淡海峡,友ヶ島において発見された南海地震津波の痕跡.月刊海洋号外,28.
徳島県伊島にて調査中

9.四国
佃 栄吉ほか(1999) 過去二千年の地層に刻まれた地震.月刊地球号外第24号.

その他.西南日本から関東地方南岸

小松原純子ほか(2006)南海・駿河及び相模トラフ沿岸域における津波堆積物.歴史地震,21.




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文科省の公表データについての昨日の報道は「事故発生から1年間の積算放射線量の推計値/最高は508ミリシーベルトで、一般人年間許容線量の500年分に相当」。今朝の新聞は「立ち入り禁は数十年続く」⇒◆長期間にわたって居住が困難 ⇒http://t.co/AicNKcf
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