推古天皇と聖徳太子 Emperor Suiko and crown prince Shotoku

今日は、「歴史のロマン」の講義を受講しました。
若井先生から、「推古天皇と聖徳太子」を学びました。

聖徳太子のこと、聖徳太子の業績が良く分かった。

内容と言えば、
1)推古天皇
*推古天皇は欽明天皇の次女で、敏達天皇の皇后広姫没後、皇后となった。
*敏達天皇死後、後の推古天皇がゴットマザーとなり、2代の天皇が即位、死亡後に、推古天皇が即位した。
*その間、物部氏と蘇我氏の争いがあり、天皇と皇子の暗殺などがあった。
*推古天皇即位後、9年後に、聖徳太子が改革を行った。
2)聖徳太子
*冠位十二階の制定を行った。これは、個人の才能により、宮廷での位が上下する制度(人材登用)。
*憲法十七条の制定を行った。これは、役人の服務規定(訓戒)である。
*このふたつは、セットのもので、車の両輪で、出世競争を促すものである。
*これらは、遣隋使が隋より学んで、作ったものである。
*仏教を敬うことを言ったのは、神では神が多くあり、氏族の神では党派の争いとなるので、誰もが敬うものの仏教とした。
*隋の崩壊と聖徳太子の死去により、改革は終わった。
*聖徳太子の死後、蘇我馬子と推古天皇は生きていたが、中国への派遣は7年間なかった、(遣唐使の派遣は死後7年目)。
などでした。
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