奈良市教委は26日、南都七大寺の1つ大安寺(同市東九条町)の旧境内で、東塔跡東側から築地塀に伴う礫敷き2本の溝跡と溝跡からは鎌倉時代の瓦などが見つかったと発表した。
基壇東側の階段を飾る化粧石から東約2mと約4・5mで平行に掘られた2本の雨落溝(ともに幅約1m、深さ約0・1m)が見つかった。2本の溝の間には築地塀などがあったと推定される。
文献史料「大安寺別当次第」に大安寺の別当となった宗性(そうしょう)が1253年に塔を修理し、1266年に「塔四面の大垣を築いた」と記されていることから、溝の間にあったと想定される築地塀が『塔四面の大垣』で、整地も宗性によるものではとしている。
出土した瓦には「大安寺塔」や「大安寺寶塔」との銘があり、形態から13世紀中ごろのものとみられる。
同寺には七重塔とされる東西両塔跡が残り、2001年から調査を実施している。東塔跡は礎石やその抜き取り穴から、塔本体は一辺約12mで、奈良時代以降の塔では東大寺に次ぐ規模と判明している。
現地説明会が28日(土)午前10~12時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、読売新聞]
過去の関連ニュース・情報
2009.11.11 大安寺 奈良期の錦幡を新調し再現
基壇東側の階段を飾る化粧石から東約2mと約4・5mで平行に掘られた2本の雨落溝(ともに幅約1m、深さ約0・1m)が見つかった。2本の溝の間には築地塀などがあったと推定される。
文献史料「大安寺別当次第」に大安寺の別当となった宗性(そうしょう)が1253年に塔を修理し、1266年に「塔四面の大垣を築いた」と記されていることから、溝の間にあったと想定される築地塀が『塔四面の大垣』で、整地も宗性によるものではとしている。
出土した瓦には「大安寺塔」や「大安寺寶塔」との銘があり、形態から13世紀中ごろのものとみられる。
同寺には七重塔とされる東西両塔跡が残り、2001年から調査を実施している。東塔跡は礎石やその抜き取り穴から、塔本体は一辺約12mで、奈良時代以降の塔では東大寺に次ぐ規模と判明している。
現地説明会が28日(土)午前10~12時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、読売新聞]
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