歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・大安寺 東塔跡周辺に2本の溝跡が出土し、「塔四面の大垣」裏付け

2010年08月26日 | Weblog
 奈良市教委は26日、南都七大寺の1つ大安寺(同市東九条町)の旧境内で、東塔跡東側から築地塀に伴う礫敷き2本の溝跡と溝跡からは鎌倉時代の瓦などが見つかったと発表した。
 基壇東側の階段を飾る化粧石から東約2mと約4・5mで平行に掘られた2本の雨落溝(ともに幅約1m、深さ約0・1m)が見つかった。2本の溝の間には築地塀などがあったと推定される。
 文献史料「大安寺別当次第」に大安寺の別当となった宗性(そうしょう)が1253年に塔を修理し、1266年に「塔四面の大垣を築いた」と記されていることから、溝の間にあったと想定される築地塀が『塔四面の大垣』で、整地も宗性によるものではとしている。
 出土した瓦には「大安寺塔」や「大安寺寶塔」との銘があり、形態から13世紀中ごろのものとみられる。
 同寺には七重塔とされる東西両塔跡が残り、2001年から調査を実施している。東塔跡は礎石やその抜き取り穴から、塔本体は一辺約12mで、奈良時代以降の塔では東大寺に次ぐ規模と判明している。
 現地説明会が28日(土)午前10~12時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.11.11 大安寺 奈良期の錦幡を新調し再現
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・大山崎町・松田遺跡 13~14世紀の建物跡と中国・南宋から輸入?の白磁や青磁も出土

2010年08月26日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは25日、6月から実施している大山崎町の松田遺跡(同町円明寺松田)の小泉川東岸の発掘調査で、13~14世紀(鎌倉後期-室町前期)の掘立柱の建物跡3棟や柵列跡などが見つかったと発表した。
 3棟の建物跡のうち、最大のものは縦5・5m、横10・4m。柵列跡は調査区域の南端にあり、9つの柱穴が東西19mにわたり並んでいた。
 建物跡に並行して南北に走る溝からは、白磁の「合子(ごうす)」の蓋の一部が見つかった。牡丹の花文様が刻まれており、藤原頼通の娘・寛子が創建した白川金色院跡(宇治市)の敷地から出土した合子と同型(注1)という。
 各遺構からは、中国・南宋(1127-1279)から輸入されたとみられる白磁や青磁のほか、青銅製の水入れや硯、土師器の皿なども出土しており、皇族や貴族と縁のある領主の屋敷だったと考えられるという。
[参考:京都新聞]

(注1) 白川金色院跡(経塚)からは、青白磁の子持ち合子(12世紀)が出土しており、このことか? 2009.4.23付共同通信ニュースにて「青白磁刻花牡丹文子持合子」とある。
 松田遺跡出土のものと写真を比べると瓜二つではないようなので、同じ時期に同じ窯で作ったもので、生地、釉薬、文葉、彫刻がそっくりということだろう。共に入手ルートに興味がある。

過去の関連ニュース・情報
 2008.8.1 京都・大山崎町 松田遺跡 継体天皇ゆかりの地で古墳時代後期の集落跡

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大津市・惣山遺跡 倉庫群跡に大規模「版築」工法による整地跡が見つかる

2010年08月26日 | Weblog
 大津市教委が25日、近江国庁の関連遺跡国史跡・惣山(そうやま)遺跡(同市大江)で、奈良時代(8世紀)に「版築」工法で大規模に整地した跡が見つかったと発表した。
 倉庫群跡の西約50mの約200㎡を発掘したところ、東西15m、南北20mにわたり、当時の地表から約1.2mを版築を用いて土を積み上げていることが判明し、棒で突いた痕跡も残っていた。版築で固めた土からは遺物が出ていないことから、倉庫群を建設する際に一帯が造成されたと推測。
 同遺跡では計12棟の大型倉庫群が南北300mに一直線で立ち並んでいたことが判明しており、倉庫建設に伴う造成跡か、さらに何らかの施設を建てようとした場所ではないかとみている。
 現地説明会は28日午後1時半から開かれる。
[参考:読売新聞、産経新聞、BBCびわ湖放送]

過去の関連ニュース・情報
 惣山遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県みやこ町・国作八反田遺跡 銅戈が出土

2010年08月26日 | Weblog
 みやこ町教委は25日、同町国作の弥生後期の集落跡「国作八反田遺跡」で「銅戈」が見つかったと発表した。みやこ町一帯を含む京都平野では、銅戈の一部とみられる銅片1枚が行橋市で見つかっているが、はっきりと形のわかる銅戈の出土は初めてという。
 銅戈は破片8枚が見つかり、復元したところ、鎌のような形状で、刃渡り約40cm、厚さ5mm。
 集落は3世紀前半に形成されたとみられ、9軒の竪穴式住居跡や1棟の掘立柱建物跡、土器の窯跡のほか、南側には祓(はらい)川に繋ながっていたとみられる水路跡(幅約20m、深さ約0.8m)が見つかった。
 出土遺物展示説明会が28日(土)午後1時から2時30分、みやこ町歴史民俗博物館仮収蔵庫前(同町豊津)で開かれる。
[参考:読売新聞、みやこ町HP]



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大津市・近江国府跡 国府北側から遺構出土、地鎮祭祀跡と緑釉陶器があり役所関連施設か? 

2010年08月26日 | Weblog
 大津市教委は25日、「近江国府跡」(大津市大江)で10世紀中頃(平安時代中期)の掘立柱建物2棟の遺構が出土したと発表した。
 これまで国府の一部とみられていた惣山(そうやま)遺跡や中路(ちゅうろ)遺跡などは国府の南側に位置するが、今回見つかった遺構は北側にあり関連施設とみられる。
 2遺構は国庁跡から北東約350mにあり、ほぼ同時代の柱の跡が複数確認された。何らかの理由で前の建物がなくなった後、新たに建てられたとみられる。前に建てられた遺構は東西9・5m、南北4・4m、柱穴50~55cm、後に建てられた遺構は東西10・8m、南北4・1m、柱穴30~40cm。いずれの遺構も中央部分に土師器が5~10枚重なっていた。周辺には炭の跡があり、地鎮のために執り行った祭祀跡とみられる。緑釉陶器や瓦も見つかっており、役所の関連施設だった可能性が高いとしている。
                    
 一方、大津市教委は、国庁南東側の惣山遺跡(同市大江)で約3千㎡にわたって、「版築」技法が使われたことも明らかにした。県内では最大規模という。
 現地説明会は28日(土)午後1時半から開かれる。近江国府跡、惣山遺跡の順で回る。
[参考:産経新聞、読売新聞、毎日新聞BBCびわ湖放送]

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.27 大津市・中路遺跡 古代官道「東山道」の関所の可能性
 2009.6.26 大津市・近江国府跡 国庁北側から建物跡が出土、役所跡か
 2008.12.11 大津市・中路遺跡 近江国府跡、勢多(瀬田)唐橋につながる東西一直線の道路跡を確認


キーワード:近江国府跡・国庁跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする