歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

倉田弟次郎 と 久伊豆神社 神紋

2013年04月19日 | Weblog

4月17日午前9時頃の西洋美術館前。 ハナミズキとツツジがきれいに咲いていました。

 一昨日(4/17)は、国立西洋美術館の「ラファエロ」展を始めに、東京文化会館小ホールでのモーニングコンサート・高橋優(ピアノ)、そして埼玉県立近代美術館の「たまもの 大コレクション展」を観聴(見聞)きしてきました。
 ラファエロ展は開館30分前から並んでいたため、ゆっくりと絵を観ることができました。 「大公の聖母」やジュリオ・ロマーノの「聖家族」などよかったですね。 1500年頃の絵画の色の鮮やかさに驚きです。
 高橋優介君は、現在上野学園大学の2年生。 横山幸雄氏ほかに師事。 昨年の第10回東京音楽コンクールピアノ部門の第1位です。 登場する雰囲気が指揮者の小林研一郎氏に似ているかな~と眺めていました。 ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」を演奏するなんて、随分難しいものを選んだのだなと思っていたら、明るい曲で本人が好きな曲だそうです。 小学校の作文で「将来はお笑い芸人になりたかった」と書いたと話していました。 そういえば、ピアノに向って歩く時に左右の手を交互でなく一緒に動かしてましたね。 まるで、チャップリンを意識しているかのように。 要点をよくまとめて、適度な間を置いて話す話し方は、トークがうまいと感じました。
 埼玉県立近代美術館は初めての訪問です。 会場にたくさんの絵が展示されており、観るのに2時間はかかってしまいました。 レオナール・フジタ(藤田嗣治)「横たわる裸婦と猫」や、横山大観、熊谷守一、小茂田青樹などなどの作品が並んでいました。 今回行った目的は、地元埼玉県作家の作品を観ることでした。 特に、森田恒友、倉田白羊。 行きの電車で、そして西洋美術館前で開館までの待ち時間を利用して読んだ「海を見つめる画家たち」(大久保守作、2006年、鳥影社)に森田恒友と青木繁、熊谷守一などとの関係、また森田恒友と倉田白羊との関係が書かれ、有益な予習となりました。

 倉田白羊の兄・倉田弟次郎の「久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)」(越谷)に目がとまりました。 神社は茅葺で拝殿幕の左右に神紋の立葵紋(丸に右離れ立葵)が大きく描かれ、明治十六年(癸)未九月と書かれていました。 絵が描かれたのは明治24年でした。 現在の久伊豆神社とは随分と違った姿です。 本殿は寛政元年(1789)に再建されたものだそうですが、社殿関係では昭和39年に幣拝殿の建設、昭和55年に外拝殿などが重ねられ、大きく立派な神社となっています。

参考
■ 越谷 久伊豆神社 (越谷市越ヶ谷1700)
 旧社格は郷社。 主祭神は大国主命・言代主命、ほかに高照姫命(たかてるひめのみこと)・溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る。 創建は不明だが鎌倉時代とされている。 神紋の立葵は、近くに徳川将軍家が鷹狩などを行う越ヶ谷御殿があったことから、葵紋の使用が特別に許可されたものとされている。

■ 玉敷神社 (たましきじんじゃ、加須市騎西552)
 江戸時代までは、「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。
 第42代文武天皇の大宝三年(703)、多次比真人三宅磨(東山道鎮撫使)により創建されたと伝えられ。 一説に第13代成務天皇六年、武蔵国造・兄多毛比命によるという。 延喜式神名帳では「武蔵国埼玉郡 玉敷神社」と記載される由緒ある神社。 寛永四年(1627)の頃、騎西城主・大久保加賀守忠職によって現在の地に遷座された。
 旧社格は県社。祭神は大己貴命(大黒主命)。神紋は左三つ巴

■ 岩槻 久伊豆神社 (さいたま市岩槻区宮町2-6-5) 
 創建は、一説に約1,400年前欽明天皇の時代に土師氏が出雲から久伊豆明神(大己貴命)の分霊を勧進し岩槻に社殿を建てたのがはじまりとされている。
 旧社格は県社。 祭神は大黒主命。 神紋は左三つ巴。
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古賀市・谷山北地区遺跡群 船原3号墳に隣接した埋納坑から古墳時代後期の金銅製馬具が一式出土

2013年04月19日 | Weblog
 古賀市教委は18日、同市谷山北地区遺跡群で、古墳時代後期(6世紀末〜7世紀初め)の円墳「船原(ふなばる)3号墳」(直径約20m)に隣接した埋納坑から、同時期の金銅製の馬具が一式そろって見つかったと発表した。 18点が確認され、14点が金銅製。 馬具専用の埋納坑は類例がないという。 古墳の外側だったためか、盗掘された形跡はなく、貴重な発見である。

 圃場(ほじょう)整備の途中で、7世紀初頭前後に築かれた船原3号墳の墓道入り口から5m離れたところに、長さ5.2m、幅0.8m、深さ0.7mほどの長細い穴(埋納坑)があり、馬具がまとめて納められていたのが発見された。
 鉄製の壺鐙や輪鐙、金銅張りの鞍、紐を連結する辻金具や轡引手(くつわひって)、雲珠(うず)や杏葉(ぎょうよう)、鈴などの馬装飾のほか、馬冑(ばちゅ、馬用の冑(かぶと))や馬甲(ばこう、馬用の甲(よろい))と見られる鉄製品も多数あった。 鞍や鐙の数から2セット以上の可能性もあるという。
 金銅製の轡引手は国宝の藤ノ木古墳や宮地嶽古墳(福岡県)の出土品など4例しかない。
 大きさから馬冑(ばちゅう)の可能性がある鉄製品がもしそうであれば、国内では行田市・将軍山古墳と和歌山市・大谷古墳の
2例しかない珍しいもの。
 繋なぎ合わせて甲にする小札(こざね)もあり、馬甲(ばこう)ならこれも数例しかない。
 辻金具は南海産のイモガイで飾られ、朝鮮半島をルーツとする型式という。
 馬具の下には類例のない黒漆の膜が確認されている。 これが何なのか、分析を進める予定としている。
 古墳時代の馬具は副葬品としての部分的な出土がほとんどで、馬具を着装した全体像は埴輪などを基に推定されてきた。
 古墳付近からは鉄鏃60点を出土した穴も見つかった。
 本格的な発掘はこれからになるとしている。
 現地説明会が21日午前10時〜午後3時に開催される。(雨天中止)市役所から送迎バスを運行される。
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、朝日新聞、RKB毎日放送]

古墳時代の馬具一式出土 金銅製、国宝級か 福岡(朝日新聞) - goo ニュース



キーワード: 船原3号墳、船原古墳
コメント (1)
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