大津市教育委員会の調査で、一昨年8月に近江国府中枢部の国庁跡から北東約400m(菅池遺跡)の古墳時代~平安時代の溝の最下層から出土した木片2本が、飛鳥時代から白鳳時代(7世紀中頃)の木簡の可能性が高いことが24日までに判明した。 滋賀、京都で最古の木簡らしい。
国府が成立する8世紀以前のもので、一帯が国府以前から、公的な施設もしくは豪族の拠点があった政治的な要所だった可能性があるとしている。
木簡は長さ約51cm、幅約5cmと、長さ約26cm、幅約3cmの2本。
奈良文化財研究所(奈良市)が赤外線撮影で調査したところ、文字が確認でき、大きいほうは何らかの文書に用いた可能性が高く、小さい方は万葉仮名で歌を記した可能性があるという。
同時に出土した土師器や高坏から、木簡の年代を近江に遷都する天智6年(667)以前とみられる7世紀中頃と推定した。
[参考:京都新聞]
キーワード:近江国府跡・国庁跡
国府が成立する8世紀以前のもので、一帯が国府以前から、公的な施設もしくは豪族の拠点があった政治的な要所だった可能性があるとしている。
木簡は長さ約51cm、幅約5cmと、長さ約26cm、幅約3cmの2本。
奈良文化財研究所(奈良市)が赤外線撮影で調査したところ、文字が確認でき、大きいほうは何らかの文書に用いた可能性が高く、小さい方は万葉仮名で歌を記した可能性があるという。
同時に出土した土師器や高坏から、木簡の年代を近江に遷都する天智6年(667)以前とみられる7世紀中頃と推定した。
[参考:京都新聞]
キーワード:近江国府跡・国庁跡