滋賀県文化財保護協会は17日、高島市安曇川町三尾里の上御殿(かみごてん)遺跡で、土器の周囲に同じ人名を7列記した特異な「墨書人名土器」(8世紀末~9世紀前半)が見つかったと発表した。
土器は、口径約15cm、高さ約13cmの土師器の甕で、周囲に「守君舩人(もりのきみのふなひと)」という人名が縦書きで等間隔に7列、墨書されていた。底部に穴が開けられ、祭祀用だったとみられる。古代の川跡から見つかり、周辺からは厄除けなどに使われた8~11世紀の人形代(ひとかたしろ)51点や馬形代23点も見つかった。
「守君」は日本書紀や古事記、新撰姓氏録に登場し、景行天皇の子孫(注1)とされ、美濃国(岐阜県)の豪族で、水の祭祀に関わった氏族「牟儀君(むげつのきみ、=牟宜都君身、毛津君)」と同族である。
墨書人名土器など出土品は21日午前9時~午後5時に県立安土城考古博物館(近江八幡市)で公開される。午前10時と午後1時半には報告会がある。
[参考:共同通信、京都新聞、産経新聞、読売新聞]
(注1)
『日本書紀』巻七景行天皇四十年 秋七月癸未朔戊戌(十六日)。天皇詔群卿曰。今東國不安。暴神多起。亦蝦夷悉叛。屡略人民。遣誰人以平其亂。羣臣皆不知誰遣也。日本武尊奏言。臣則先勞西征。是役必大碓皇子之事矣。時大碓皇子愕然之。逃隱草中。則遣使者召來。爰天皇責曰。汝不欲矣豈強遣耶。何未對賊。以豫懼甚焉。因此遂封美濃。仍如封地。是身毛津君。守君凡二族之始祖也。
『古事記』 大帶日子淤斯呂和氣天皇(第十二代景行天皇)坐 纏向之日代宮 治天下也。
此天皇 娶吉備臣等之祖 若建吉備津日子之女 名針間之伊那毘能大郎女 生御子 櫛角別王 次大碓命 次小碓命 (略)
大碓命者【守君 大田君 嶋田君之祖】。 (略)
天皇聞看定三野(美濃)國造之祖 大根王之女 名兄比賣 弟比賣二孃子 其容姿麗美而 遣其御子大碓命以喚上 故其所遣大碓命勿召上而 即己自婚其孃子 更求他女人 詐名其孃女而貢上 於是天皇知其他女 恆令經長暇亦勿婚而惚也
故其大碓命娶兄比賣 生子 押之兄日子王【此者三野宇泥須和氣之祖】亦娶弟比賣 生子 押弟日子王【此者牟宜都君等之祖】
キーワード:上御殿遺跡、墨書人名土器
土器は、口径約15cm、高さ約13cmの土師器の甕で、周囲に「守君舩人(もりのきみのふなひと)」という人名が縦書きで等間隔に7列、墨書されていた。底部に穴が開けられ、祭祀用だったとみられる。古代の川跡から見つかり、周辺からは厄除けなどに使われた8~11世紀の人形代(ひとかたしろ)51点や馬形代23点も見つかった。
「守君」は日本書紀や古事記、新撰姓氏録に登場し、景行天皇の子孫(注1)とされ、美濃国(岐阜県)の豪族で、水の祭祀に関わった氏族「牟儀君(むげつのきみ、=牟宜都君身、毛津君)」と同族である。
墨書人名土器など出土品は21日午前9時~午後5時に県立安土城考古博物館(近江八幡市)で公開される。午前10時と午後1時半には報告会がある。
[参考:共同通信、京都新聞、産経新聞、読売新聞]
(注1)
『日本書紀』巻七景行天皇四十年 秋七月癸未朔戊戌(十六日)。天皇詔群卿曰。今東國不安。暴神多起。亦蝦夷悉叛。屡略人民。遣誰人以平其亂。羣臣皆不知誰遣也。日本武尊奏言。臣則先勞西征。是役必大碓皇子之事矣。時大碓皇子愕然之。逃隱草中。則遣使者召來。爰天皇責曰。汝不欲矣豈強遣耶。何未對賊。以豫懼甚焉。因此遂封美濃。仍如封地。是身毛津君。守君凡二族之始祖也。
『古事記』 大帶日子淤斯呂和氣天皇(第十二代景行天皇)坐 纏向之日代宮 治天下也。
此天皇 娶吉備臣等之祖 若建吉備津日子之女 名針間之伊那毘能大郎女 生御子 櫛角別王 次大碓命 次小碓命 (略)
大碓命者【守君 大田君 嶋田君之祖】。 (略)
天皇聞看定三野(美濃)國造之祖 大根王之女 名兄比賣 弟比賣二孃子 其容姿麗美而 遣其御子大碓命以喚上 故其所遣大碓命勿召上而 即己自婚其孃子 更求他女人 詐名其孃女而貢上 於是天皇知其他女 恆令經長暇亦勿婚而惚也
故其大碓命娶兄比賣 生子 押之兄日子王【此者三野宇泥須和氣之祖】亦娶弟比賣 生子 押弟日子王【此者牟宜都君等之祖】
キーワード:上御殿遺跡、墨書人名土器