歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

うれしいひなまつり / サトウ ハチロー

2017年03月03日 | Weblog
 朝はテレビ朝日の「グッドモーニング」を見ることが多い。
 最近は、執拗に森友学園を扱い、辟易するほどであるが今朝も見ていたら、林修さんが童謡『うれしいひなまつり』をとり上げていた。
 『うれしいひなまつり』は、昭和10年(1935)前後にサトウハチローが作詞した。
 昭和11年に、レコードが発売された。作曲が、河村光陽ということもあり、その娘・河村順子が歌い大ヒットしたという。
 サトウハチローは、早田中学校の先輩になる。 中学校3年の時に退学し、大正10年卒業(23回生)の中に「推薦校友」として名を連ねている。(注1) 野球部に所属して、戸山ケ原の元近衛騎兵連隊の広場で練習したようである。早稲田中学を中退してからは、京都や宇都宮の中学など7校を転々と移り変わったことで有名であったとか。(注1)
 東京府東京市牛込区市谷薬王寺前町(現、新宿区市谷薬王寺町)に生まれ、本名は佐藤八郎(1903-1973)。
 人生は、波乱万丈のようである。

 一昨日、同じテレビ朝日の「徹子の朝」で佐藤愛子が出演していた。
 私の母(90才)もファンであり、妻も見習って佐藤愛子(93才)の本を読むようになった。最近読んだのは『九十歳。何がめでたい』。 毎日のように弱音を吐く母親に、「佐藤愛子を見習って!」の気持ちで購入した。
 実は佐藤愛子は、サトウハチロウとは異母兄妹であった。

(注1)昭和38年9月5日「東京の高校めぐり あの人もここに学んだ(445) 早稲田高等学校(14)」(日本経済新聞)より 
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