松江歴史館(松江市)は26日、江戸時代の初代松江藩主堀尾忠氏が、関ケ原の合戦後に領主となった出雲国の土地を家臣らに分け与えたことを示す文書「知行目録」(縦31.4cm、横44.9m)が見つかったと発表した。
関ケ原の合戦の功績により、出雲、隠岐国の領主になった堀尾忠氏が、現在の島根県出雲市や雲南市の土地計1010石を、家臣6人にそれぞれ130~250石ずつ与えたことが記されている。
慶長6年(1601)3月に作成されており、忠氏が合戦から半年という短時間で支配体制を整えようとしたことが分かるという。
見つかった知行目録は松江歴史館で11月17日~来年1月17日に展示される。
堀尾忠氏(1578-1604)は、堀尾吉晴(1543-1611)の次男。早世したため、忠氏の長男・忠晴(1599-1633)が継いだが、幼少のため、吉晴がその後見として事実上の藩主になった。忠晴は成人後も子供に恵まれず、死後堀尾家は改易となった。
[参考:共同通信、産経新聞]
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堀尾
関ケ原の合戦の功績により、出雲、隠岐国の領主になった堀尾忠氏が、現在の島根県出雲市や雲南市の土地計1010石を、家臣6人にそれぞれ130~250石ずつ与えたことが記されている。
慶長6年(1601)3月に作成されており、忠氏が合戦から半年という短時間で支配体制を整えようとしたことが分かるという。
見つかった知行目録は松江歴史館で11月17日~来年1月17日に展示される。
堀尾忠氏(1578-1604)は、堀尾吉晴(1543-1611)の次男。早世したため、忠氏の長男・忠晴(1599-1633)が継いだが、幼少のため、吉晴がその後見として事実上の藩主になった。忠晴は成人後も子供に恵まれず、死後堀尾家は改易となった。
[参考:共同通信、産経新聞]
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