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静岡市・駿府城跡 豊臣期の天守台の石垣が見つかる

2018年10月17日 | Weblog
 静岡市は16日、徳川家康の居城として知られる駿府城跡(同市葵区)周辺の発掘調査で、豊臣秀吉が家臣・中村一氏(かずうじ)(注1)に築かせたとみられる天守台の石垣などが見つかったと発表した。
 新たに発見された天守台は天正18年(1590)秀吉による小田原攻めの後、江戸に移った家康に代わって、駿府に入城した中村一氏(かずうじ)が秀吉の支援を受けて築城したものと考えられる。これまで、史料には一氏が駿府に入場したという記録はあるものの、どこに城を築いたなど実態は不明だった。
 石垣はこれまでに発見されていた天守台とは異なる自然石を積み上げた野面積みで作られていた。

 駿府城は天正13年(1585)に徳川家康が築城。天正16年(1588)天守が完成。 天正18年(1590)に中村一氏が築城(天守台37m×33m)。江戸時代初期に家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となり江戸から駿府に隠居した。この時に大改修が行われている。天守台は、約55m×48mの規模であった。しかし慶長12年(1607)に、天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失したため、直ちに再建した。天守台は68m×61mの規模という。
寛永12年(1635)に再度の火災により天守等の殆どの建物が焼失したが、天守は再建されなかった。

 このほか、金箔瓦約330点も見つかっている。金箔瓦には豊臣方の瓦に特徴的な技法が使われている。
 20、21日の午前9時~午後4時に臨時公開される。

 (注1)中村一氏は、豊臣政権の三中老の1人。天正18年(1590)、江戸に移った德川家康の代わりとして駿河府中14万石を拝領した。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞]


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