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栗東市・蜂屋遺跡 法隆寺と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦」が出土

2018年11月01日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が1日、縄文時代から中世にかけての集落遺跡「蜂屋遺跡」(栗東市蜂屋)の寺跡で奈良県斑鳩町にある法隆寺創建時の遺構「若草伽藍」と中宮寺跡(同町)と同じ木型で作られた「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(にんとうもん たんべんれんげもん のきまるがわら)」(7世紀後半)が2点見つかったと発表した。 同様の文様の瓦は横見廃寺跡(広島県三原市)などでも見つかっているが、全く同一のものは初めて。 瓦は寺の西端とみられる溝から大量に出土した。
 また、境内の境界を示す築地塀跡とみられる溝跡から、若草伽藍が焼失した後に造営された西院伽藍(現在の法隆寺)創建時の瓦と共通する瓦や、大規模な建物の屋根に取り付けた「鴟尾」の一部も出土した。
 蜂屋遺跡のある栗東市北部は奈良時代、栗太郡(「くるもと」郡その後「くりた」郡に変化)物部郷と呼ばれていた。 もともとは4~5世紀に権勢を振るっていた物部氏が持つ領地の一つだったという。 丁未の変(587年)で物部守屋が蘇我馬子に敗れ、厩戸皇子(聖徳太子)の所領になったと推測する。 「法隆寺伽藍縁起并流記(ならびにるき)資財帳」(747年)には、法隆寺の所領と記され、聖徳太子がが建立した法隆寺に物部郷を寄進し、法隆寺の荘園や倉庫が設けられたとみられる。
 蜂屋遺跡には、飛鳥時代後半に創建された瓦葺きの屋根を持つ寺院が存在したと考えられるとしている。
 現地説明会は3日午後1時半から開かれる。
[参考:共同通信、時事通信、産経新聞、毎日新聞、京都新聞]


 中宮寺(創建607?)は聖徳太子(574-622)の母穴穂部間人皇女(用明天皇の皇后、?-622)の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺(606ないし607年創建)と対照的な位置に創建された寺です。その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として残っていたのを発掘調査したところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは法隆寺旧地若草伽藍が四天王式であるのに応ずるものといえます。而もその出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われます。[参考;中宮寺HP]


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