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橿原市・植山古墳 石室入り口を分厚い土で封印

2012年12月13日 | Weblog
 橿原市教委は12日、第33代女帝推古天皇(554~628年)と息子の竹田皇子(生没年不詳)の合葬説が有力な同市五条野町の植山古墳の2基の横穴式石室の入り口がそれぞれ分厚い土で塞がれ、二度と人が入り込めないよう「封印」されていたと発表した。
 横穴式石室の入り口は石を積んで塞ぐ方式が一般的で、土で固めた古墳は非常に珍しいという。
 東の石室(注1)入り口を塞いでいた盛り土は高さ約4m、奥行き約4m、幅約10m。中央付近からは、幅約1mの通路状の遺構が見つかった。 改葬の際に通路を新たに造り、終了後に再び埋め戻した可能性があるとしている。
(注1)東石室は6世紀末に造られ、竹田皇子が埋葬されていると推測されている。
[参考:共同通信、時事通信、朝日新聞]

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石室入り口、土で固める=推古天皇合葬説の植山古墳―奈良(時事通信) - goo ニュース
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