県文化財保護センターは11日、大垣市荒尾町と桧町にまたがる弥生時代から古墳時代にかけての荒尾南遺跡で、河川(幅約2m)の岸辺跡約100mから祭祀用とみられる3万点を超す多量の土器が出土したと発表した。県内で最大規模の水辺の祭祀跡とみられる。
河川跡が見つかったのは遺跡西部で、大集落の西側を南へ流れていたとみられる。弥生時代後期から古墳時代前期に土砂流入で次第に湿地化したらしい。見つかった土器は約3万3000点にのぼり、中には線刻を施した土器やミニチュア土器が入った土器や、土器自体に穴の開いた穿孔土器などが見つかった。
遺跡南部からは一辺が約10mの四角い墳丘墓(1基)も見つかった。約1800年前の古墳前期に築造されたとみられ、墳丘部から木製祭祀具(長さ25cm、幅3cm、厚さ5mm)が9枚見つかった。地に突き刺して神聖な場所を区切る用具らしい。
同遺跡は、弥生時代は墓域として、古墳時代は大集落へと姿を変えたことが、これまでの調査で分かっている。
「水辺の祭祀」は農耕が一般化した弥生時代以降、豊作を願い川辺や大溝周辺で行われた儀礼とされる。
同遺跡は06年度に本格発掘が始まり、これまで銅鐸破片や銅鏡、巴型銅器などが出土。今年度は5月~12月中旬の予定で約1・1ヘクタールを調べ、確認した弥生中期の方形周溝墓は過去2年分と合わせ88基、弥生後期~古墳前期の竪穴住居跡は175軒になる。
現地説明会が下記にて行われる。
日 時:平成20年11月15日(土) 午後1時30分〜午後3時30分 <小雨決行>
場 所:荒尾南遺跡 発掘調査現場(大垣市荒尾町内)
調査成果:
・河川跡の岸辺で、「水辺の祭祀」をうかがわせる弥生時代後期から古墳時代前期にかけての多量の土器を発見。
土器の中には特殊な文様(弧帯文)が線刻された土器やミニチュア土器、パレススタイル土器など祭祀関連の土器が含まれている。
・古墳時代前期頃の墳丘墓を発見。 など
これまでの主な出土品
・巴形銅器(5脚左捩半球形座・棒状鈕)、弧帯文土器、小型丸底土器、精製土器、ミニチュア土器、パレススタイル土器、赤鉄鉱(ベンガラ生産跡?)、大型船を描いた土器、木製の杖の飾り、人面土器、銅鐸片(近畿式銅鐸の飾耳)、銅鏡(倭鏡、重圏文鏡?)、土師器、須恵器など
[参考:11/12岐阜新聞、11/12毎日新聞、11/13読売新聞、(財)岐阜県教育文化財団文化財保護センター、考古学フォーラム]
河川跡が見つかったのは遺跡西部で、大集落の西側を南へ流れていたとみられる。弥生時代後期から古墳時代前期に土砂流入で次第に湿地化したらしい。見つかった土器は約3万3000点にのぼり、中には線刻を施した土器やミニチュア土器が入った土器や、土器自体に穴の開いた穿孔土器などが見つかった。
遺跡南部からは一辺が約10mの四角い墳丘墓(1基)も見つかった。約1800年前の古墳前期に築造されたとみられ、墳丘部から木製祭祀具(長さ25cm、幅3cm、厚さ5mm)が9枚見つかった。地に突き刺して神聖な場所を区切る用具らしい。
同遺跡は、弥生時代は墓域として、古墳時代は大集落へと姿を変えたことが、これまでの調査で分かっている。
「水辺の祭祀」は農耕が一般化した弥生時代以降、豊作を願い川辺や大溝周辺で行われた儀礼とされる。
同遺跡は06年度に本格発掘が始まり、これまで銅鐸破片や銅鏡、巴型銅器などが出土。今年度は5月~12月中旬の予定で約1・1ヘクタールを調べ、確認した弥生中期の方形周溝墓は過去2年分と合わせ88基、弥生後期~古墳前期の竪穴住居跡は175軒になる。
現地説明会が下記にて行われる。
日 時:平成20年11月15日(土) 午後1時30分〜午後3時30分 <小雨決行>
場 所:荒尾南遺跡 発掘調査現場(大垣市荒尾町内)
調査成果:
・河川跡の岸辺で、「水辺の祭祀」をうかがわせる弥生時代後期から古墳時代前期にかけての多量の土器を発見。
土器の中には特殊な文様(弧帯文)が線刻された土器やミニチュア土器、パレススタイル土器など祭祀関連の土器が含まれている。
・古墳時代前期頃の墳丘墓を発見。 など
これまでの主な出土品
・巴形銅器(5脚左捩半球形座・棒状鈕)、弧帯文土器、小型丸底土器、精製土器、ミニチュア土器、パレススタイル土器、赤鉄鉱(ベンガラ生産跡?)、大型船を描いた土器、木製の杖の飾り、人面土器、銅鐸片(近畿式銅鐸の飾耳)、銅鏡(倭鏡、重圏文鏡?)、土師器、須恵器など
[参考:11/12岐阜新聞、11/12毎日新聞、11/13読売新聞、(財)岐阜県教育文化財団文化財保護センター、考古学フォーラム]
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