長崎県平戸市は1日、平戸市崎方公園内の「三浦按針墓地」で出土した人骨について、詳しい分析の結果、按針が亡くなった年代のヨーロッパ人男性と断定されたことを発表した。徳川家康の外交顧問を務めた英国人ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)の可能性が高いとみている。
DNAなどの分析結果、骨の成分を抽出して行った年代測定で、1590~1620年に死亡した可能性が高いことがわかったほか、DNA配列の分析で西ヨーロッパや北ヨーロッパの人の特徴が確認されたという。
三浦按針は、慶長5年(1600)に臼杵市佐志生に漂着したイギリス人で、徳川家康に外交と貿易の顧問として重用され、1620年に56歳で平戸で亡くなった。
[参考:長崎新聞、NHK長崎]
過去の関連ニュース・情報
2018.3.3 平戸市の「三浦按針墓地」で発見の人骨、西洋人の可能性
三浦按針の墓と伝わる立碑と周辺の調査を進めている平戸市は2日、立碑下の地中から昨年7月に見つかった人骨について、「鑑定の結果、男性で、西洋人の可能性が高い」と発表した。今後、DNAの配列を調べて、ヨーロッパ系の人物かどうかをはっきりさせる方針。 [参考:朝日新聞]
平戸、墓地から出土の人骨「三浦按針の可能性高い」
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三浦按針は、慶長5年(1600)に臼杵市佐志生に漂着したイギリス人で、徳川家康に外交と貿易の顧問として重用され、1620年に56歳で平戸で亡くなった。
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