金沙博物館が「国際博物館の日」に合わせて発表した最新の発掘状況で、四川省成都市郊外で01年に発見された約3000年前の「金沙遺跡」で、日本の神社建築のルーツと見られる高床式の祭祀建物の跡が見つかっていたことが明らかになった。
金沙遺跡は同省広漢市で発見された約3000年~5000年前の「三星堆遺跡」と並び、古蜀文明の謎を解く重要なカギとして注目されている。出土品が似ていることから、金沙文明は三星堆文明を引き継いだものであると考えられている。金沙遺跡からは祭祀用の器や黄金のマスクなど6000点以上が出土しているが、その90%以上が発掘された祭祀遺跡に建物の柱穴が9本見つかっていた。柱の穴は角が丸い四角形で、1辺の長さ0.45m、深さ約1.3m。これは商代末期―西周前期(紀元前1200年~同900年前)のもので、長い階段のようなものと草または木の皮で葺いた屋根を持つ高床式建物の跡であることが分かった。高さは10数mとみている。公開されている建物の復元写真をみると、平面は柱間が正面2間・側面2間であり、その上に東屋(亭子)が乗り、東屋に入るための階段が右側にある。
祭祀用に建てられたもので、祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。
中国の古代建築物の専門家、楊鴻(ヤン・ホンシュン)教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べている。
[参考:Record China、四川新聞、成都日报]
2010.5.25 追記およびコメント
本ニュースに関しては、中国国内の大手新聞のみならず四川省、成都市などの地方新聞あるいは情報サイトでも大きく取り上げられているのにかかわらず、残念ながら日本ではRecord Chinaの情報をインターネットの情報サイトで取り上げられているのみである。
筆者は、2004年に開催された「よみがえる四川文明 三星堆と金沙遺跡の秘法展」(東京美術館)を見学した。その時に図録を購入したので、あらためて見直したが、2001年に発掘した史料・情報を載せているのみで、今回の出土場所のことはまったく触れていなかった。それもそのはず、神社のルーツとみられる柱穴は2002年12月に発見されている。
初め、模底河の南の梅苑祭祀区がその出土場所かと思ったが、その東隣に位置する黄土台がそのようである。
四川新聞を見ると、金沙遺跡博物館副館長朱章義氏は「金沙遺跡祭祀区は黄土台建造前に在り、主要祭祀用品は石器や象牙であったが、黄土台建造後は突然大量の金器、銅器、玉器等の祭祀用具が現れる。」と言っている。
[参考:四川新聞、金沙遗址博物馆HP]
金沙遺跡は同省広漢市で発見された約3000年~5000年前の「三星堆遺跡」と並び、古蜀文明の謎を解く重要なカギとして注目されている。出土品が似ていることから、金沙文明は三星堆文明を引き継いだものであると考えられている。金沙遺跡からは祭祀用の器や黄金のマスクなど6000点以上が出土しているが、その90%以上が発掘された祭祀遺跡に建物の柱穴が9本見つかっていた。柱の穴は角が丸い四角形で、1辺の長さ0.45m、深さ約1.3m。これは商代末期―西周前期(紀元前1200年~同900年前)のもので、長い階段のようなものと草または木の皮で葺いた屋根を持つ高床式建物の跡であることが分かった。高さは10数mとみている。公開されている建物の復元写真をみると、平面は柱間が正面2間・側面2間であり、その上に東屋(亭子)が乗り、東屋に入るための階段が右側にある。
祭祀用に建てられたもので、祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。
中国の古代建築物の専門家、楊鴻(ヤン・ホンシュン)教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べている。
[参考:Record China、四川新聞、成都日报]
2010.5.25 追記およびコメント
本ニュースに関しては、中国国内の大手新聞のみならず四川省、成都市などの地方新聞あるいは情報サイトでも大きく取り上げられているのにかかわらず、残念ながら日本ではRecord Chinaの情報をインターネットの情報サイトで取り上げられているのみである。
筆者は、2004年に開催された「よみがえる四川文明 三星堆と金沙遺跡の秘法展」(東京美術館)を見学した。その時に図録を購入したので、あらためて見直したが、2001年に発掘した史料・情報を載せているのみで、今回の出土場所のことはまったく触れていなかった。それもそのはず、神社のルーツとみられる柱穴は2002年12月に発見されている。
初め、模底河の南の梅苑祭祀区がその出土場所かと思ったが、その東隣に位置する黄土台がそのようである。
四川新聞を見ると、金沙遺跡博物館副館長朱章義氏は「金沙遺跡祭祀区は黄土台建造前に在り、主要祭祀用品は石器や象牙であったが、黄土台建造後は突然大量の金器、銅器、玉器等の祭祀用具が現れる。」と言っている。
[参考:四川新聞、金沙遗址博物馆HP]
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