長崎県埋蔵文化財センターは27日、壱岐市の「原(はる)の辻遺跡」で2007年度に発掘した青銅製品(長さ約4cm、幅約1cm、 厚さ2.5mm、重量3.7gで外面に幅1.5mm程度の凹線が4条刻まれている)が、紀元1世紀ごろの銅釧(腕輪)の一部と判明したと発表した。年代は倭の奴国が後漢に朝貢し、金印を授けられたとされる時期(AD57年)に近いという。
出土品は。中国の遼寧省周辺(遼東郡)で使用された「遼東系銅釧」で、13年に国の重要文化財に指定された。同地域の銅釧が国内で出土したのは初めて。
出土品が、遼東郡の羊草荘漢墓(ようそうしょうかんぼ)で報告された67点の銅釧と形状やサイズがほぼ一致したことなどから遼東系の銅釧と判明した。
これまで中国系の文物は、楽浪郡を経由して日本に流入したと考えられてきたが、同種の銅釧は楽浪郡では出土しておらず、一支国(いきこく、壱岐)と遼東郡との交流があったと想定できるものとしている。
[参照:2017.11.27長崎県HP、2017.11.28長崎新聞、朝日新聞、2017.12.1壱岐新聞、2017.12.6読売新聞]
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原の辻遺跡
原の辻で国内初の腕輪出土
弥生集落から中国・遼東の腕輪 魏志倭人伝の「一支国」
出土品は。中国の遼寧省周辺(遼東郡)で使用された「遼東系銅釧」で、13年に国の重要文化財に指定された。同地域の銅釧が国内で出土したのは初めて。
出土品が、遼東郡の羊草荘漢墓(ようそうしょうかんぼ)で報告された67点の銅釧と形状やサイズがほぼ一致したことなどから遼東系の銅釧と判明した。
これまで中国系の文物は、楽浪郡を経由して日本に流入したと考えられてきたが、同種の銅釧は楽浪郡では出土しておらず、一支国(いきこく、壱岐)と遼東郡との交流があったと想定できるものとしている。
[参照:2017.11.27長崎県HP、2017.11.28長崎新聞、朝日新聞、2017.12.1壱岐新聞、2017.12.6読売新聞]
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