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守山市・赤野井浜遺跡 弥生期の漁の痕跡「管状土錘」が県内初出土

2009年10月31日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が30日、赤野井浜遺跡で過去に採取した遺物から、弥生時代の漁網の重り「管状土錘(かんじょうどすい)」が県内で初めて見つかったと発表した。縄文時代の琵琶湖では石錘を使った漁が一般的だったが、弥生前期には土錘を使っていたことが初めてわかった。また、瀬戸内海や日本海沿岸の海水域で広がった網漁が、淡水域の琵琶湖にも到達していたのが明らかになったとしている。
 管状土錘は、遺跡内の河川の跡や小穴から土器の破片などと一緒に計34点が見つかった。素焼きの錘(おもり)で、粘土塊の中心部に網を通すために0.6cmくらいの穴が開いている。素材の土は一緒に出土した土器片のものと似ており、弥生時代前期から中期(紀元前5~3世紀)のものとみられる。34点のうち28点が卵形と紡錘形で、6点が球形。最大は俵形で長さ7・3cm、幅3・9cm、重さ114g。最小は球形で、直径2cmほどで重さ8gだった。
 湖畔に弥生期の集落遺構は多いが、土錘がやっと発見できたというのは、網漁が琵琶湖で伝わらなかったとみられる。弥生期にすでに、より効率的な湖国独特のエリ・やな漁が発達していたとみられる。
 管状土錘は11月3日午前10時~午後4時半、イオンホール(草津市新浜町)で行われる調査成果報告会「びわ湖と川の考古学」で公開する。
[参考:読売新聞、京都新聞、中日新聞、朝日新聞]

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