法隆寺は天智天皇9年(670)年に焼失し、再建設が有力。
持統天皇7年(693)の仁王会で持統天皇より下賜された紫色の天蓋をかけていたとする新設を、元奈良文化財研究所長・鈴木嘉吉氏が発表した。
金堂を構成する3つの空間に、天蓋が1つずつかけられているが、中の間と西の間が飛鳥時代に製作された天蓋(木製)であるのに対して、薬師如来像を安置する東の間の天蓋(木製)は鎌倉時代になって作られているが、その間は紫色の布の天蓋をかけていたとする。使われていない残された2つの金具より推定している。
[参考:奈良新聞 7/30]
持統天皇7年(693)の仁王会で持統天皇より下賜された紫色の天蓋をかけていたとする新設を、元奈良文化財研究所長・鈴木嘉吉氏が発表した。
金堂を構成する3つの空間に、天蓋が1つずつかけられているが、中の間と西の間が飛鳥時代に製作された天蓋(木製)であるのに対して、薬師如来像を安置する東の間の天蓋(木製)は鎌倉時代になって作られているが、その間は紫色の布の天蓋をかけていたとする。使われていない残された2つの金具より推定している。
[参考:奈良新聞 7/30]
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