元来 政治にはさほど関心がありません
などと言い切ると誤解を生みますが
もともとそれほどの期待はしていない
という表現の方が 私の政治感には より近いかな?
だからといって いい加減な姿勢で政治を捉えることにも反対
けっして諦めきっているわけではありません
自己保身の武器としての政治
利得権益追求(もっともこれをあからさまには掲げないでしょうが)を第一目標としての政治
自己顕示欲の強すぎる 見てくれだけの と表現してもいいような軽すぎる無責任政治
これらには さすがに激しい嫌悪感を覚えます
なぜかというと 巷の人民の人生を勝手にかきまわす虞が
とてもとても大きくなってしまうからです
自分の人生は 自分自身で方向を定めたいので 必要以上のおせっかいは マッピラ御免蒙りたい
そのかわり というか それと同時に といってはなんだけど
政治の力を自己自身の利用に用いることも イヤダー
と もの心ついてから一貫して思い続けているので
いわゆる インテリもどきの 上から目線の
「・・・このように生きるのが人間一番幸せなのです・・・
そのためにも政治を自らの力で作る
そうすれば 利用することさえできなくもなく・・・」
の類のお言葉には 嫌悪感を倍加させられます
幸せの在り方は自分で決めたいし
○○を自己利益に利用し
という感覚がピンとこない(利用なんぞしたくない)
≪ たとえコッペパン半切れだけの晩飯が続こうとも 自分の信条にまでズカズカと踏み込まれるようなことには抵抗する ≫
たとえ 野たれ死のうとも 自分のまま あの世にいきたい
自分の心の形は あまりイジクラレタクナイ
突然 このような記事を なにゆえ 今時
とお思いでしょうが
尊敬する思想家は と 問われ
安藤昌益です
と答えた後 日頃意識的に通り過ぎている硬い面の?
自分の拠りどころなどいろいろなことが浮かんでは消え浮かんでは消えの今日だったので・・・つい
安藤昌益
とは答えましたが 彼を非の打ちどころなき人間と狂信しているわけでは毛頭なく というか彼一人が唯一の尊敬する思想家というわけでもなく
私自身は 共産主義者でも・無政府主義者でもなく
もっとも 彼が いわゆる共産主義・無政府主義的思想家か否か
彼の思想の本当のところは いまだにつかみきれません
が
おおいに 関心があります
野の者は海の者と山の者に野の物を
海の者は野の者と山の者に海の物を
山の者は海の者と野の者に山の物を
そのようにして 余り過ぎることなく 足りな過ぎることなく
互いの眼を慈しみあいながら・・
必要以上の差を設けるようなことにならないように・・・
理想すぎることは承知
でも 中学帽子をやや前傾鋭く 斜めに被りたがった少年の理想は
いまだたいして変化もなく頭にこびり付いたまま
というようなことを 雨の土曜日の午後に思ってみたりした
四月の ある半日 なのでした
いまだに余震?が続いています
自然の底しれない大きさ
と
人間の存在の危うさ
を
どうしても比較考量してしまうときがあります
でも とにもかくにも 歩き続ける
ファイト です