どうしてなんだろうなー
と
長いこと抱いていた疑問の一つに
樋口一葉の作品は なぜ 教科書に載らないのかなー
ということがありました
女性文学者として 人気もナンバーワンクラス
有り余る才能を持ちながら貧困からの病魔で若くしてこの世を去り 社会の底辺で生きなければならなかったゆえの非遇をも感得させることも可能な
文学だけではなく社会学習にも 格好なある意味 一石二鳥の教材足り得
どのような観点からも 子供たちに与えるインパクト度は非の打ちどころなく 条件充分
読書に興味を与える有力な候補であること間違いなし
文語体ではあるけど 中学校の教科書なんかにはうってつけ
鴎外とも接触があった とも言える(鴎外は一葉の葬列にしたがうことを申し出てさえいます)し
漱石・鴎外・一葉 この三人の大御所がそろえば
サイコー
なんじゃないのかなー
鴎外と漱石の作品は載せて どうして一葉は登場させないのかなー
明治期文学の最強トリオなのに
中学生になって湧いた この疑問
ずいぶんと長い間抱え続けていました
たけくらべ なんか 登場人物も子供たちだし
いいんじゃないのかな と
でも決定的かな? ともとれる訳が・・・あった ?
そうなのです
吉原 遊女さん との絡み・・・かな?
さすがに 学校の教科書としては採用できなかった
仮に そういった部分を意識的に載せなくとも
いろいろと 難しい理屈が 教室内でも学校内でも家庭でも
駆け巡りだすかもしれない・・・・
おそらく そのあたりのことが 原因 だったのかな?
(もっとも たけくらべ が中学校の教科書には載ったことがないかどうか・・・さだかではないのですが)
次も 長ーい疑問 の一つ
「世の大人たち 酒なんぞくらいやがって 鼻歌調で流行歌なんぞでいい気なもんの花見の宴 一升瓶をみればニタリ顔・・
あー いやだいやだ 哲学的なことなんぞ
考えることなんぞ無いんだろうーなー
おおよそ 大人なんてさ」
これも長ーいこと 抱いていた 大きな疑問
さすがに青年時代を過ぎる頃には
『バカを承知のこの渡世』
という大人もけっこういたんだろうなー
哲学的かどうかはしらないが 不条理を承知でもとにもかくにも
子らのため家族のご飯茶わんのためにも生きていかなくては・・・自分を奮い立たせるための酒 そして流行歌 だったのかも・・』
と
往時の自分を 多少 反省
さうなんだよ きっと
生きるために 必死に 働いて 酒で くだけた文句の鼻唄で 哲学的なことをも
ムリヤリ封じ込め・・・
なんて人々 も 大勢いたんだろう なー !
自分は なんという単純人間だったのだろう・・・
とはいいながら
今もって さほどの進歩も無い
シンプルさにも程があり過ぎる大人なのかな?
この 自分というのは・・・
実のある生きざまを貫けるよう
ガンバラネバ
というわけで
本日は 勝手な戯言のお粗末噺 とはあいなりました
このあたりで マッピラ ゴメンクダサイ
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