最近 ときどき ハッとします
自分の言動にです
人間 限られた地の上で ある意味限定の無い行動自由の
多くの人間が 望む望まないにかかわらず互いの眼に触れ合い あるときは肩を触れるほどの距離で なんらかの関わり・交渉をもたざるを得ない状態さえも避け得ない状況下でも
それぞれ個性のある息遣いのもとにうごめかざるを得ないことさえあるのだから
いちいち そのつど ナンダ カンダと自己主張を無遠慮に
まき散らしていては 街での 大きく言うと 社会での平穏な生活など 望むべくもない
だからこそ 互いに 思いやりの心を ほんのわずかづつでも
持ちよりながら 生きながらえていくしかないのだ
我慢 我慢 ときにはいたしかたない我慢というものがあるの
なあーーんてことを ケッコウまじめに考えながら生きながらえて
きたようなところもないわけではなかった
ところが 齢を重ねるごと
なにかが より緩んできて?
何事につけ 批評家 というより批判家然になっている自分を
見つけることがある
今の政治家のたとえようのない魅力の無さはどうだ
若者自殺にコメントする教育者の笑みのはしたなさはどうだ
勝ち組とかなんとか言われるあの企業家の品格はどうだ
今のポップスの歌詞の長ったらしさと軽薄さはどうだ
とかなんとか
本当のところは ドウナノダ ということをも問わず
そうなんです こらえ性のない ヤンチャな自分を発見して
唖然とするのです
心の中で こんなことを思っているのです
“今までの人生 さんざん いろんなことを我慢してきた
殴りつけたいほどの暴言にも立場上グッとこらえ
まるで自己を理解していない成り上がり者の横柄さにも耐え
称賛になどかけらも値しない輩の虚像の人格にも目をつむり
なんとかかんとか 何かのために 自分の心さえゴマカシテいた
のかもしれない
だから 理不尽な我慢など 御免蒙る
ここに至っては もう それも 許されるだろう”
というような具合
我慢の連続?の友を見て
つい
「もう そろそろ自己主張も おおいに許されるのでは」
と余計なことを口に出してしまい
苦笑いしました
そうなのです
自分のわがままさをゴマカスため 仲間を増やそうとの
タクラミ
すこし 恥ずかしさを 覚えました
そんなこんなで
とにかく 不平不満を グッと飲み込むことが多い
昨今ではあります
まだまだ 我慢もしかたないところで息をしている
ということなのでしょうか・・・
もっとも
止むを得なくケタチガイの我慢をなされている方からすれば
私のは Cクラスの我慢
なのかもしれませんね
生きて我慢もできているだけ シアワセであるとも言えますね
さて もう一仕事
明日の準備を