今の広告マン、アドマンは大変だと思います。
わたしが広告マンだった1980年代。
ケータイもなければ、パソコンもなく、黒電話主体のコミュニケーションメディアしかありませんでした。
会社を出れば、自由な世界、出張に出ればほぼフリーランスの身分となることができました。
でも今は、全くの逆。
大変な時代だと思います。
銀座で飲んでいても、六本木で遊んでいてもクライアントからの電話やメールから逃れることは出来ません。
ホントーにご苦労様です。
私の時代は、六本木のIBMに1週間お邪魔し、PL-1と呼ばれる怪しいコンピュータ言語を学んだりしていました。
会社に帰っても「清書」のための富士通オアシスの親指シフトがあるだけ・・・。隔世の感です。
いま最前線で戦う広告代理店の諸君、彼彼女。
メンタルヘルスに気を付け、体力を温存し、少しでも長く働いてください。
その際に、米国の広告代理店DDBの歴史やデビット・オグルビーの著書を読んでみてください。
きっと参考になると思います。
私が広告マンだった頃、日本広告業協会(たしかJAAAと呼ばれていました)の働きかけで「広告代理店」ではなく、「広告会社」と呼ぼうという働きかけがありました。
おそらく「代理店」という呼び方があまりに下請け的に捉えられていた時代だったからだと思います。
その頃は、なかば冗談で自嘲的に「士農工商・代理店・プロダクション・印刷屋・アルバイト・・・」といった身分制度がありました。
クライアントが一番偉く、下請けの代理店、その下請という図式を卑下して表現したコトバだと思います。
でも今では、広告代理店という言葉が一般的に使われているように思います。
わたしも、「代理店」という言葉の方がいいと思います。
今では、外資系の広告代理店も多数参入し、また、インターネット系の代理店も従来の媒体代理店と肩を比して活躍しています。
その中で、昨年は中央宣興が倒産、その前は老舗の万年社も消えていきました。
当時のイメージでは、トップダウンで売上至上主義の中央宣興の営業担当者、ちょっとマイナーながら地味ないぶし銀のような万年社の営業担当者・・・を思い出します。
その構図は、インターネットによさって激変した栄枯盛衰のばげしぃ証券会社の栄枯盛衰とよく似ていると思います。
広告を批評するわけではありませんが、今のTVスポットは魅力もなく驚きもなく、新聞広告のキレもありません。
本当に悲しいことです。
テレビ番組=タイムも安い芸人を使ってのクイズ番組やバカ騒ぎのバラエティ番組のオンパレード・・・。
出演者だけが楽しいというテレビ番組の質の低下を強く感じます。
志を持った広告マン、アドマンの出現を待ちたいと思います。