能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

「写真・小屋・字幕」・・・映画館が輝いていたころ

2012年02月05日 | 映画

 社会人になったばかりの頃、1年間に100本の映画を観ていた時期がありました。

 夜や週末に映画館に通い、当時最強の情報紙「ぴあ」を片手に飛び回っていました。映画館の持つ独特な匂いと雰囲気、場内が暗くなるときのワクワク感、字幕スーパー・・・本当に素晴らしい時代だったと思います。現在のシネコンも便利ですが、なんとなくベルトコンベアに乗せられているようで素直に楽しめないような感じがします。

 それは、広告マンだった20歳代の半ば。タダ券を山ほどいただき、暇さえあれば映画館に通っていました。当時、広告代理店に勤務していた私は、京橋にあった外資系映画会社の担当。カッコよく言えば担当ですが、実質使いっパシリ。当時の洋画のキャンペーンは、数週間前からテレビスポットを打ち、パブリシティを流す。1週間前は映画館でチラシ、缶バッチなどを配布するというものでした。女子大生を10名ほど雇い映画館を回るという仕事も、それはそれで楽しいひと時でした(笑)。映画のロゴが入ったトレーナーやジャケットにミニスカートといういでたち。途中で「おなかが空いた」と言えば、自腹を切ってハンバーガーを御馳走。この我がまま娘たちを連れて、有楽町ピカデリー1・2(ピカワン)、渋谷パンテオン、新宿ミラノ座を回るのです。それもこれもテレビスポットの扱いをいただくため。まさに白クマ広告社(気まぐれコンセプト)の世界でした。中には、いまでも年賀状をいただいている元「ギャル」もいます。

 そして、迎える初日。この日の入場者数が、その映画の動員数を決定づけます。業界紙では各館の有料入場者数を翌日には出していたように記憶しています。この封切日は土曜日。休みでも初日だけは出勤です。宣伝部長や宣伝部に一言挨拶、一杯やって帰る・・・という流でした。

 その時に思ったのが、映画業界の持つ独特な雰囲気・風土。

 義理と人情を大切にします。テレビなんかは新参者という扱い。

 当時、びっくりしたのが映画とは言わず「写真」ということや、映画館と言わず「小屋」という表現。その言葉を使うだけでギョーカイ人になったような気分になれたものでした。

 今ではセピア色のあの時・・・古き良き時代の思い出です。


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「市民ケーン」 今なお感動を誘うオーソン・ウェルズの歴史的名画・・・天才映画監督の描くストーリー

2012年02月05日 | 映画

土曜日の夜。

々に一人でホットウイスキーを飲みながら名画鑑賞。

大好物のアーモンドとチョコレートを片手にカウチポテトです。


今から数十年前、「ロードショー」や「スクリーン」といった映画雑誌が売れていました。

映画雑誌といっても洋画、特にアメリカ映画を中心としたエンターテイメント月刊誌。

今でもある「キネマ旬報」は、少しアカデミックなポジショニング。

そんな雑誌の中で、過去の映画のトップ10をランキングすると、1位を獲得するのが「市民ケーン」。


当時は、ネットもDVD、ビデオもなく、この「市民ケーン」は、謎の映画だったのです。

初めて観たのが、大学生の時。

「ぴあ」で上映館発見、駆けつけました。

そこには、若き日のオーソン・ウェルズが、多様な年齢の役を演じる姿に感動。

画面はモノクロ。

その中には、現代の映画技法が散りばめられています。

鏡を多用した技法、画面の奥行きを表現するパンフォーカス、キャメラのローアングルテクニックなどに驚いたことを覚えています。


この「市民ケーン」は、1941年製作の米国映画。

第14回アカデミー賞脚本賞受賞作品。

この映画の完成当時、大きな政治圧力がかかり封切りできなかったとのことです。

監督、主演ともにオーソン・ウェルズ。

その天才ぶりが、この映画の中から溢れだしています。

ストーリーは、一種のミステリー、ある大金持ちが「バラのつぼみ(rose bud)」という謎の言葉を残して死ぬ、その謎を追い求める新聞記者・・・。

50年前、半世紀前の映画とは思えぬほどのスピーディな展開です。


著作権切れで、このDVDが390円で入手できます。

お勧めの一品です。


「世界名作映画ベストセレクション14 市民ケーン」 モノクロ 119分 永岡書店


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